見出し画像

真夜中のひとりごと

私の住む街はとりあえず緊急事態宣言が解除された。おそるおそるではあるが、さまざまな場所が動きはじめている。
ずっと休業していた、あるスーパーのフードコートも再開して、久しぶりに昼食にラーメンを食べた。フードコートとあなどれない。昔懐かしい醤油風味の中華そばで、年代問わず人気がある。なにより税込300円程度というのが最高だ。変わらぬ味にほっとする。
近くにいたおばあさんも、「いや、しばらぐぶりでくたけど、んめなあ」と、しわくちゃの頬をゆるませていた。

写真を撮ってみたい、と、急に思い立っている。noteには写真を撮っている方もたくさんいるが、皆さん個性があり、いつもみいってしまう。
自分はどんな写真が撮りたいだろうか。多分、きれいなものにはひかれない。踏みつけられた虫の死骸、アスファルトに穿たれた穴ぼこ、錆びついたガードレール、車の窓についた鳥のふん…。
それとも自分を撮ろうか。汚れた車いす、自己導尿後のカテーテル、いびつな自身の全裸。そんなものばかりが浮かぶ。そんなの誰が喜ぶのか、でも、ひと、世界はそういうものじゃないのだろうか。

昔から、本当に好意を寄せているひとのいちばんになれなかった。
小学生の時のあきこちゃん。中学生の時のともひろくん。高校生の時のさとうくん。社会人になりたての時のすみえちゃん。いつも二番目かそれ以下。
今もたいして変わらない。いくら追いかけても、微笑みかけても、そのひとには別に最愛のひとやものごとがあり、かわりになれたことは一度もなかったし、これからもないだろう。
そのひとたちが屈託ない最愛のひとへ向ける愛情をみるたび、自分の愛情はくすみ、崩れていくようだ。

改めて語る機会もあるだろうが、心療内科より心身疲労による自宅療養をすすめられ、一ヶ月休むことになった。
ようやくゆっくり休める、という感覚はなく、むしろ気持ちが沈んだ。
これでも働く、ということに、昔からこだわりがあった。高校は進学校だったが、はじめから就職を希望した。ずっと迷惑をかけてきた家族を安心させたかった。だから実家にいる頃は給料の半分ちかくを渡していたし、奇跡的にパートナーに出会えて式をあげ、両親の喜びの涙をみた時は、ようやく孝行できたと思った。
だが心身をこわし、今だに親の運転で病院に通っている始末。
「子供のために親が苦労するのは当たり前」
以前の母の言葉に、私はいつまでしがみつくのか。

最後の晩餐はなにが食べたいか。定番の問いかけだし、最近のドラマにもそんな話が出てくる。
私は正直特にない。食事はもう薬を飲むためのものとなって久しいから、どうでもいいのが本音だ。
ただ最後にやりたいことはなんだろう、と考えてみたら、異性と裸でからだを重ね、つながりあい、気絶するほどに抱き合うことだった。
私の肉体では不可能なことを、決して感じられない、泣きたくなるような愛するひととのよろこびを、私はいまだ求めているのだ。
その相手の顔を想像したら霧がかかったようにぼやけてわからなかった。そうしたらなぜか涙がにじんでとまらなくなった。




ここから先は

0字

¥ 150

いただいたサポートは今後の創作、生活の糧として、大事に大切に使わせていただきます。よろしくお願いできれば、本当に幸いです。