ひとりごと

相変わらず体調すぐれず物書きが進まないので、最近のことなどを書きなぐりしてお茶をにごす。


近所で家やアパートの新築工事が相次いでいる。重機を操作し、高い足場にのぼってドライバーをまわし、地面にドリルを打ち付けている姿を、つい見てしまう。私には絶対できない仕事だから。そういえば小学生の頃、将来の夢はタクシーやバスの運転手だった。タイヤみたいに大きなハンドルをまわし、巧みにギアチェンジする様を、身を乗り出して見ていた。憧れるものは小さな頃から案外変わらないものかもしれない。

先週末は職場の忘年会だった。車いすで少し会話の不自由な先輩と、明るく可愛らしい女性店員さんが仲よくなって、最後手を振りあっていたのにちょっと笑った。普段は外出もなかなかままならないひと。年末だし、こんなささやかなやり取りがあったっていい。ちなみに生粋のビール党。中ジョッキ七杯は飲んでいた。

忘年会の反動かやたら具合悪くなり、土日はずっと臥せっていた。パートナーが買い物から帰ると、クリスマスや正月用品が雑多にあふれ、なにがなんだかわからなくなりそうだったと。確かにこの十年くらい、季節の進みの急かされかたがひどくなっている。クリスマスがおわったらすぐ、正月用品のかたすみで七草粥が売られるだろう。下手したら節分の豆やバレンタインのチョコまで並んでいるかもしれない。

「時が心身を変容させてくれます。というか、生きているかぎり人は変容せざるを得ないのだと思います。」南木佳士『トラや』より。こんな一節にひかれるのは、心身がかたむいているからだろうか。本を閉じ、目をつむった。エアコンの音だけが部屋に響く。

「ばあちゃんになりたい」かなり昔、パートナーがそうつぶやいた。理由をきくと、ばあちゃんは仕事にも行くことなく、日がな一日縁側でお茶を飲んでればいいからだ、と。そんなのつまらない、と当時は思ったが今はわかる。なんにも考えず、どこにも行かず、薬も飲まず、一回二十分もかかる自己導尿もせず、ひたすら陽だまりでぼーっとお茶やコーヒーを飲んでいたい。もう私はじいちゃんになりたいのかもしれない。

今週も通院がある。前回はあまり検査結果が芳しくなく、今回も結果次第では点滴、下手打つと入院の可能性もある。金曜の誕生日や正月は病院だろうか。いつだかそんな年があった。検査を受ける前、検査技師の男性に、今日誕生日なんですね、とカルテを見ながら言われた。そういえばそうですね、とこたえた後に受けた注射の針はやたら太かった。その時は年末ぎりぎり退院できたので、病院の正月飯を食べたことはまだない。

食欲があまりない時、仕事から帰るとカロリーメイトを栄養補給に食べるようにしている。病院の栄養指導の職員に進められた。今日も食べた。ぼりぼりと噛み砕いて胃に押し込む。うまくもまずくもない。ただこれが血肉になれば、と食べる。正月を家で過ごすために食べる。生きるとは食うこと、と言い切ってもあながち間違いじゃないだろう。


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