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冬の晴れ間

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 久しぶりの青空に恵まれたその日、陽のひかりに誘われて外に出てみた。
 家の前の歩道まで出てきて、空のてっぺんにある太陽の真正面に車いすを据える。眩しさに瞼を閉じながら、ひかりを浴びる。空気は相変わらず、一月の冷気できんと冷えているが、ほのかなあたたかさが徐々にからだに広がってきた。腕を軽く広げて、深呼吸。
 大通りからひとつ、細い通りに入ったところに住まいはある。ほかにひとの姿はない。車も時々通るくらい。雪解け水が流れる音が、家々の雨どいや屋根、タイヤ下の側溝から絶え間なく聞こえてくる。
 そんな風に道端でぼうっとしていると、ざくざくとシャーベット状になった雪を踏みしめて近づいてくる足音が聞こえてきた。振り向くと、通りの斜め前に住んでいる白幡家のおばあちゃんだった。手には雪かき用のスコップを手にしている。
「いやあ、今日は天気いいねえ」
 白幡おばあちゃんは七十代半ばくらいだ。約六年前にこの場所に住まいを移して以来、なにかと世話を焼いてもらっている。こないだも「もうお年始で余っちゃって」と、缶詰を六個ほどもらってしまった。いわしの味噌煮やら鯖の水煮やら。ちなみに以前にも何個かもらっていて、台所の棚には缶詰の塔ができている。
「ああ、そうですね……」
 にこやかに、と浮かべたはずの笑みが思ったより固くなる。ああ、こりゃまた長くなるぞ、との無意識からか。白幡おばあちゃんには本当によくしてもらっているのだが、とにかく世間話が長い。先日もその缶詰を持ってくれた時に、玄関先で延々と立ち話になった。
 今回は、旦那さんが今務めている団体の役員をそろそろ辞めたいと言っているだとか、隣県に住んでいる姪っ子のあきこちゃん(こちらが知っている前提で親戚の名前がぽんぽん出てくるのでとても覚えきれない)が、この状況だから正月は帰ってこれなかったとか、別に暮らしていた次男が家に戻ってきているだとか。旦那さんは機嫌が悪いと物を投げてくる、なんておだやかでない話も前に出たのだが、とにかく話題の切り替えがはやいので、訊き返す余裕はない。ただ「ああ、そうなんですか」「それは大変ですね」などと、相槌を打つのが精一杯だ。
「んだら、まず。からだ気ぃつけでな」
 その時は十五分くらいだったろうか。ひと通り話しおえると、またざくざくと足音を立てて家の方へ戻っていった。そして家の前に固まった雪をスコップで掘り、くずした雪を道路にざあ、とばらまきはじめた。本当は道路に雪を出してはいけないのだが、白幡おばあちゃんはおかまいなしだ。実際、ほかにもそんなひとはいっぱいいるし、いちいちそんなことを守っていたら、どの家の前にもかまくらが作れるほどの雪山ができてしまう。

 白幡おばあちゃんの雪かきの音と、雪解け水の流れる音を聞きながら、また日光浴を続ける。さすがに少しからだが冷えてきたけど、もう少し太陽の恵みを受けていたかった。
 瞼を閉じてぼうっとしていたら、幼い頃、まだ歩けた頃の冬が思い出されてきた。
 残っているいちばん古い記憶は、二歳から三歳になる頃のことだ。十二月が誕生日の私は、その数日前から指で三を示す練習をしていた。まだ指の動きがおぼつかず、人差し指と中指はすっと出せるのだが、その後の三を示す薬指がなかなかうまく伸ばせなかったのだ。
「今度、何歳になるんだ?」
 父や祖父からたずねられるたびに、三本、指を伸ばそうとするのだが、どうもすっと伸びていかない。ぱっとすぐに出せないと、三歳になれないような気がして、子どもこころに焦っていた。
 やがて、誕生日当日がきた。こたつに入ってお茶を飲んでいた父に呼ばれた。そしてたずねられた。
「今日から、何歳になった?」
 私は父のかたわらに立ち、右手を上に上げた。人差し指、中指。折り曲げていた指を伸ばす。ここまではすぐできた。肝心の薬指。
 ちからを入れた。ぷるぷる震えながら、じわじわと指が伸びていく。やがて関節が伸びて指が三本、誇らしげに伸び切った。こんなにうまく伸びたのは、この日がはじめてだった。
「んだな、今日から三歳だな」
 父はあっさりと言った。私は三歳になれた、と思って、ひとりほっとしていた。
 瞼をあけた。車いすのリムを握っていた手を離し、顔に近づける。一、二、三。人差し指、中指、薬指はなんの造作もなく、空気中のみえない水分をはじいた。あの頃より皺が増え、節々の太さが目立つ指は誇らしげに伸びているが、可愛げもなにもない。かたちの悪い爪も伸びている。
 あれからずいぶん、遠いところにきた。
 からだがぶる、と震えた。そろそろ戻ろうと、車いすを玄関先へこぎ出す。振り返ると白幡おばあちゃんが、一心に雪のかたまりをスコップで崩し続けていた。こちらには見向きもしない。さっきしゃべりまくったことなど、忘れてしまったみたいに。まあ、またそのうち話題ができたら立ち話になるのだろうけど。


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