不完全で歪んだ私

私の大切な友人が、胸のうちを吐露された。それは読む者の胸をしめつける、辛く悲しい告白だった。

私にはなにもできない。すぐにでも飛んでいきたいのに、それもかなわない。でも寄り添ったところで、なにもかけてあげられる言葉も、私のなかにはない。当たり障りない慰めは、かえって傷つけてしまうかもしれない。

だから、考えた。せめてそのひとと共に傷つこう、と。

これからある過去記事を、加筆訂正して再録します。有料ですが、全文読めます。今までの私の記事のなかでもっともなまぐさい、醜い記事です。何度か下書きにしたこともあります。

ですが今回、あえて再録します。もしおよみいただき、ありがたくも善意をいただけたら、それはすべて友人へ再サポートさせていただきます。

友人だけのためではありません。友人が抱く大切な、でもこの世界を支えるだろう夢、目標が叶う手助けに少しでもなるようにです。

これがただしいやり方か、今も迷っています。かえって友人の傷を広げるかもしれない。自己満足かもしれない。でも、なにもしないまま今夜は眠れそうにない。だから友人に嫌われる覚悟で、二度と話せなくなる覚悟で、以下の文章を再度公開し、友人とともに傷つきます。

どうか、よろしくお願いできたら幸いです。




 何度も書いて申し訳ないのだが、私は五歳の時、脊髄損傷が原因による下半身完全まひの身体障がい者となった。

 立つ、歩く、走るといった動作はできない。感覚も失われているから、痛さ、熱さ、寒さなどはまるで感じない。排泄もわからない。だから時間経過をみたり、あるいは腹部を手でさわってたまっていたりしたらトイレに向かう。

 失われたものは数えきれないが、ひとが生きる上でもっとも、といっていいくらいものも失われた。

 私は、性行為ができない。

 「性行為」の定義はなにか、などという根本的な問題はとりあえず措く。ここでいう性行為はごく普通に、一般的(普段は使いたくない言葉たちだけど、今回は例外的に多用させていただく)に想像されるものと思ってもらえればいい。

 それが、私にはできない。五歳の時は気づかなかったけど、その時点でもう切り落とされていたのだ。

 だが。性に対する「欲望」はあるのだ。しっかりと。

 私は心身障害者養護学校に通っていた。中学部くらいになると普通の中学生とおなじように異性を意識しはじめた。と同時に、あるものたちがクラス内にひっそり出回りはじめた。女性の卑猥な写真が載った雑誌、タイトルも書けないようなグラビア本、ラベルもなにも貼ってないビデオ……。同級生、先輩後輩がそれらのものを持ち込んでは回覧板のごとく、貸し借りがはじまった。こういうところは普通の男子中学生となんら変わらなかった。

 当然、私もある時、一本のビデオを喜び勇んで借りた。夜中、家族が寝静まった頃、居間のデッキにビデオを入れて再生した。画質の荒い、全裸の男女の行為が流れてきた。右耳につけたイヤホンから、ざらざらした雑音と共に女性の悲鳴だかなんだかわからない声が聞こえてきた。

 私のからだは、あっという間に熱を持った。そして、こういう時に普通の男性が行う行為をした。いわゆる自慰好意だ。ここまではよかった。

 ところが。私はまったく反応しなかった。顔が歪んだ。画面と下半身の間で視線が何度も往復した。

 そこから、性という荒野の放浪がはじまった。

 クラスに相変わらず出回る本を夜中、布団のなかで開いた。自分の部屋にもデッキをつけてもらってからは、録画した映画のいわゆるベッドシーンを何度も再生した。近所の本屋で一番いかがわしそうな雑誌を万引きしたことさえあった。

 学校を卒業し、仕事をするようになってからも行動は続いた。インターネットが普及してからはその手のサイトを巡りに巡った。PCがクラッシュしかけるような危ないサイトも幾度踏んだか。レンタルビデオ店の黒いカーテンを身を潜めるようにしてくぐり、適当な映画のDVDをその上に重ねて、男が担当するレジに向かった。

 それらにすがりながら、私は虚しい行為を何度も繰り返した。代わりにできるものはないか、と、みずからのからだをあちこち苛んだ。もしかしたらこれか、と感じたものもあった。でもその後ひどい吐き気におそわれ、実際吐いた。

 おれには、無理なんだ。

 虚しい時間を積み重ねたある夜、私は手を動かすのをやめた。

 だが、かすかな希望を、ひとつだけ胸底に抱きかかえていた。

 女性と実際に抱き合えば、もしかしたら。

 やがて、生涯を共に生きてくれる、といってくれたひとと出会った。

 そのひとと抱き合った。今までの画質がざらついた行為とは別の次元にいるみたいに安らげた。ああ、こうしているだけでいいんだ。ようやく思えた。

 でも。私は当たり前のことを忘れていた。

 そのひとにだって、欲望があるということを。 

 私のようなものと生きていってくれるといってくれたひとなのだ。たいせつにしたかった。満たしてあげたかった。だからきつく、苦しいくらいに抱きしめ合った。だが力ない性器を押し付けながら、それでいいのかどうか、だんだんわからなくなってきた。

 これも当たり前だけど、そのひとは子どもを望んでいた。

「あなたが愛おしいと思えるような子どもを、生んであげたいのです」

 ある時、そのひとの言葉が、メールで私のもとに届けられた。ある年の冬、ひときわ寒い日。そのひとは買い物に行ってくる、と出かけていた。面と向かって言えず、ひとりで苦しんだ末、私に送ったにちがいなかった。

 望みを叶えてあげたかった。実際にいろいろ調べた。互いに病院にも行った。でもある病院で受けた診察は、ここでは詳細しないが、私にとってあまりに屈辱的なものだった。今でも時々思い出すと全身が震える。

 そんな日々が過ぎていくうち、やがて私は今も苦しめられている腎臓の病気になった。体調の悪さもあって、徐々に抱きしめ合う回数も減っていった。年齢もやがて重なっていき、そのひとも徐々に求めなくなっていった……。


 自分のなかで、疑問がごうごうと渦巻いている。

 どうして五歳の時、「欲望」も失われてしまわなかったのか。もぎ取られてしまわなかったのか。

 私は、いったい、なんなのか。

 からだが、動かなかった。

 私はもしかしたら、「不完全で歪んだ私」に、そのひとを巻き込んでしまったのではないか。

 どこか醜く、歪み、捻じれたもので、かたちづくられた私のなかに、そのひとを飲み込んだのではないのだろうか、と……。

 なまぐさい、吐き気のする内容に、目をそむけた方もいるかもしれない。

 ですが、謝罪はしない。障がい者の美しさも醜さも描くことが、私の細胞核だから。

 私は「不完全で歪んだ」私を抱えたまま、生きていく。

 それだけが、この醜いものだらけの文章のなかで、ただひとつ言い切れることだ。

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