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私はいつも、気づくのが遅いんだ。

先日、とても大事な友人のお母様が亡くなられた。満56歳。はやすぎる旅立ちだった。こころからご冥福を申し上げます。

友人のことは、何度か記事に書かせていただいた。


「いっつもあそんでけで、ありがどさまな」


その知らせを聞いた時思い出したのは、お母様の笑顔だった。

友人とご飯を食べに行ったり、お茶をしに行くとき、いつもそんな挨拶とにこやかな笑顔とともに友人の車いすを押して、私たちのもとに連れてきてくださった。

雑事や体調不良で通夜や葬儀には出席できなかった。落ち着いたころ、彼女にLINEで申し訳なかったのだけど、お悔やみを伝えさせていただいた。

「私は大丈夫です。ありがとうございます」そんな返事がかえってきた。今まで週三回だった訪問介護を、これからは毎日にする予定であることも教えてくれた。そんなやり取りで、彼女との会話は終わった。

「子どものために親が苦労するのは当たり前」

私がまだちいさな頃、母がふとつぶやいた言葉。

その言葉とともに、思う。

私たちが彼女と会えたのは、楽しい時間を過ごせたのは、彼女のお母様が私たちのもとへと連れてきてくださったからなのだ。手足の不自由な彼女を抱えて車に乗せ、待ち合わせ場所まで運転し、着いたらまた車いすに乗せて私たちのもとまで車いすを押し、帰りにまた迎えに来て「また会ってけろな」あの笑顔とともに彼女を連れて家に帰る。当たり前のことのように。

お母さんがおられなかったら、私たちは彼女の笑顔を見ることさえ叶わなかった。会いにいくよ、なんて、えらそうに言っておきながら。

私はいつも、気づくのが遅いんだ。

この言葉を読んだのは、なんの本でだったろうか。

そう、気づくのが遅いんだ。

本当は、いつだって望んでいるのを。

この脚が、もし…。






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