床に臥せりつつ、梅と空を想う

先週末からまた尿の濁りが出た。なにかの拍子で雑菌に感染すると出る症状だ、

以前も何度かおなじ症状が出た時と変わらず、ひたすら水や麦茶、経口補水液を流し込み、トイレで自己導尿をする。普段なら一日で治るのだが、今回は何度繰り返しても濁りが取れない。

症状がひどくなると一気に熱があがる。それで緊急入院したこともあるので、悪化する前に病院で診察を受けた。悪くなる前に抗生剤をもらえたら、と思ったのだ。だが発熱がない時に抗生剤を飲むと耐性がつき、後々効かなくなってしまうので出せない。今までとおなじ対処を続けてくれ、と言われてそのまま帰されてしまった。もし熱が出た時はすぐ来てくれ、とも。

おなじ対処。簡単に言うな。

診察室を出る時、率直に思った。

そのおなじ対処が、どれだけ大変だと思ってるんだ。胃が破裂するんじゃないかと感じるほど水をがぶ飲みし、一回二十分はかかる導尿を二時間ないし一時間半ごとに繰り返す。これが本当に疲労する。仕事している方がよほど楽と感じるくらいに。

そういう事情を説明し今週は休ませてください、と職場に連絡を入れ、以降火曜日から家にとじ込もっている。

だか、尿の汚れはなかなか取れない。一度きれいになっても、次はまた汚れている。カテーテルから排出される濁り水を見るたび、絶望的な気分になる。神経がすり減るのがわかる。

食欲も当然わかない。常にそのことばかり頭にあるからなにもする気力も体力もなく、ひたすら床に臥せる。本もネットもほとんど見ず、流しっぱなしのテレビを半分閉じた目で眺める。ニュースやワイドショーは新型コロナウイルスの話題で埋めつくされている。さらに沈むばかりなので、BSの通販番組に変える。全然価値のわからないダイヤモンドつきのネックレスがこの値段で、と、司会者が椅子から立ち上がり、驚いている。

症状が出る直前の通勤時、通りかかった家の庭先の紅梅が咲いていた。思わず目を細めた。この梅が咲くと、町は一気に彩りにあふれてくる。それを見るたび、特にこの数年は気持ちが浮き立つようになっている。

そのすぐ後、こういう事態になってしまったから、あれから梅がどうなったかわからない。他の花がどうなっているのかも。

ため息ばかりついても気が滅入るばかり、と、そばにあったエッセイ本を取った。しっかり読む気はなかったが、めくっているうち少し眠れたら、と思った。

そのうち、あるページに引用されていた詩に目がとまった。

「空は屋根の彼方で
  あんなに青く、あんなに静かに、
 樹は屋根の彼方で
  葉を揺がす
 ああ、神様、それが人生です」
  ーヴェルレーヌ

エッセイの作者によると、この光景は詩人が獄中の窓から見た光景だという。

ふと窓に視線が移った。よく晴れていた。獄中と住み慣れた家ではまるで違うし比べられるものでもない。だが詩人と、床とトイレにしばられている自分に、なんとなく重なってしまった。ページを閉じた。少し眠った。

ここは獄中てはない。近いうちからだがとりあえず戻ったら。あの梅を見に行こう。もう散っていたらそれでいい。他の花が咲いているか探そう。そして、青空を見上げよう。今の自分にはそれがなによりの幸福だ。

わずかなまどろみから覚めた後、水を飲み、トイレに向かった。また結果に幻滅するかもしれない。でもいつか。がんばれば。さっきより少しだけこころを持ち上げながら。

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