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シンくんの笑顔を見つめながら

わ、シンくんからだ、ひさしぶり。

ある夜、スマートフォンに着信したメールをみて、パートナーが声を上げた。

シンくんというのはパートナーの中・高校時代の同級生だ。吹奏楽部の部活動仲間でもある。高校卒業と同時に故郷である東北の地から、はるか南の沖縄へと移り住み、以来そこで暮らしている。

よほど沖縄にあこがれていたか、それとも夢があったのかというとそういうわけでもなく、パートナー曰く「なんとなーくふらっと沖縄に行って、なんとなくふらふらしてたら、いつのまにかそこの眼鏡店で働き出した」とのことらしい。学生の頃から、そういうとぼけたところがあったようだ。

私も結婚式の時、一度だけ会った。眼鏡店勤務ということでかっこいい眼鏡をしていたが、「あ、これだてなんすよ」と、レンズのない眼鏡の穴に指を突っ込んだ。余興でトランペットも吹いてくれた。まあ、それなりだった。

シンくんは時々、パートナーを含めた同級生たちにメールを送ってきた。居酒屋で本場のゴーヤチャンプルーや泡盛を同僚たちと堪能したり、砂浜でサーフボードを抱えたりしている画像がよく添えられていた。なんとなくふらっと行った沖縄だが、シンくんの肌に合ったようだ。ちなみにサーフボードは持っているものの、波には全然乗れない。

そんか彼からひさしぶりにきたメールを、私もみせてもらった。添付された画像には、やはり居酒屋でオリオンビールのジョッキを持った彼がいた。しばらくぶりでみたがちょっと顔がまるくなり、眼鏡も昭和の古い映画でみるような四角い黒ぶちのものに代わっていた。酔っ払ったのかネクタイもよれよれ。シンくんもいいおじさんになってきたなあと言うと、ひとのこと言えないじゃん、とパートナーに苦笑された。

シンくんのとなりにはもうひとりの男性が並んでいた。年はおなじくらいか。彼と似た丸顔で、人懐っこい笑顔を浮かべている。いつものごとく職場の同僚かと思っていると、パートナーが言った。

「シンくんよかったよ、ようやく彼氏できてさ」

テーブルにあったせんべいをかじり、テレビを眺めながらあっさりと。

え、と、彼女に振り返った。「シンくんて男のひとを好きになるひとだったの」「そうだよ。あれ、言ってなかったっけ」

シンくんがそういうひとだ、というのは中学で会った直後からみんな知っていたことらしい。

彼女を含めた同級生たちの間でそのことは、春の次に夏がくる、くらいに当たり前のこととして特に話題になることもなく、仲のよい同級生として遊び、部活に励み、卒業後もメールや年賀状のやり取りを続けている。だからパートナーも私に話すのを失念していたのだ。そりゃそうだ。春の次には夏がくるんだよ、なんてわざわざ教えることなんてない。

私はスマートフォンを借りて、もう一度シンくんと彼氏の画像を見せてもらった。シンくんは眼鏡をかたむかせて、満面の笑顔を浮かべていた。よく見るとテーブルに置いてあるふたりのスマートフォンは、機種も色もまったくおなじだった。もうすぐいっしょに暮らしはじめるという。

「その写真みて、キョウコちゃんのお母さん、あらいがったごど。んだらもう結婚したらいいべしたね、て言ったんだって。そしたらキョウコちゃん、また先こされちゃうのかあ、やだなあ、だって」

はは、そっか、と私は笑いつつ、冷蔵庫から金麦を取り出し、飲みはじめた。いつも通りうまい、でも今日はちょっとオリオンビールが飲みたかったな、なんて思いながら。

ゆたかさとはなにか。

あまりにおおきな問いかけで、私にはこれ、といったものは思い浮かばない。だから最近身の回りであった「これはゆたかさ、かな」と感じた小さなできごとを綴った。

ただ、こういうできごとをことさらに、特別なことのように書くことのなくなる未来があるなら、それはきっとゆたかな未来なのだろう。それが今、書き終えて思うことだ。


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