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withnews新作コラム掲載のお知らせと、お隣の長女さんのこと

 withnewsに新作コラムが掲載されました。

 今回は私が体験した震災の経験をベースに、これからの災害で私たちが生き残るのに大切なものとは、それがもたらす息のしやすい社会とはなにか、を拙いながら考えてみました。お時間のある時、お読みいただけたら幸いです。


 私の住む東北の街も雪が溶け、ようやく車いすでも出かけられるようになりました。
 先日、天気もよかったので、散歩がてら近所のドラッグストアに買い物に出かけました。
 玄関を出た時、春休み中のお隣の長女さんもちょうど出かけるところでした。自転車に乗ったところで「こんにちは」と声をかけると、小さな声で「こんにちは」と応じてくれました。長女さんに会うのはかなり久しぶりでした。

 私が今の住まいに引っ越してきた時、まだ小学三、四年だった長女さんですが、今はもう高校二年です。小学生の時はちょっとくせのある髪を伸ばしていましたが、中学生になってバドミントン(テニスだったかも)をはじめてからは、ばっさりと切ってベリーショートにし、すっかりボーイッシュになりました。

 この日もいつものベリーショートにナイキの白いパーカーを着て、自転車にまたがると、さっそうとのろのろと車いすをこぐ私を追い抜いていきました。たちこぎで走り去る後ろ姿は、本当にかっこよくて。

 出会いはじめは人懐っこい感じでしたが、小学の高学年になる頃から、長女さんはちょっと私を避けるような感じになっていきました。私の出勤時間と長女さんの登校時間が重なっていたので、朝玄関を出るとよく顔が合いました。ですが「おはようございます」とあいさつしても返さず、目も合わせずに急ぎ足で集団登校の場所に走っていくのが常でした。この日はあいさつをしてくれましたが、はやくこの場を離れなきゃ、といった空気はやはり変わりません。

 元来照れ屋なのか、それとも私のことがちょっとこわいというか、どう接していいかわからないのか。たぶん両方。もしかしたら後者の方の成分が少しだけ多いかもしれません。それなりに長い年月、このからだで生きてきたので、そういうのはなんとなくわかります。

 それはしかたないのかな、と思います。お隣さんといっても日中、ご家族はみなさん留守なので、ほとんど顔を合わせることはありません。ろくろく話もしたことない上、私のような「普通」とはちょっとはずれたひとと親しくなるのが容易でない方だってたくさんいます。

 でも、こうしてお隣のお子さんたちが、見かけるたびに成長していく姿を目にできるのは幸せだな、と常々感じます。子どものいない私にまで、子育ての喜びと少しのさびしさをほんの少し分けてもらっているようで。長女さんもランドセル背負ってたのに、今じゃすっかりおとなになりました。

 もうあと二年もたてば、進学か就職かで、長女さんも家を離れるかもしれません。ですがこのご時世、どんな高校生活を送っているんだろう。部活、大会、学校行事。もしかしたら全部なくなってしまってるかもしれない。大切な生きる時間のページが、欠けてしまったと感じていたりするのでしょうか。

 私には想像もできない、霧みたいにかすんだ感情を抱えているのかもしれません。

 もしそれなら、遠慮なく、吐き出してほしいと思いました。なんで私たちだけが? なんでこんなに我慢ばっかり? 卒業アルバム半分真っ白なんて、涙もでないよ、と。

 誰にでもいい、そうやって吐き出してほしい。あなたのうつむいた感情をためこむことはないのだから。受けとめてくれるひとは、きっと近くにいるから。

 そして、思い出してほしい。あなたには過去より未来にたくさんの風景が待ちわびているのだ、ということを。

 でも、そんなおとなの勝手な思いなど、長女さんには必要ないかもしれません。

 だって長女さんの自転車は見送っているそばから、あっという間に見えなくなったのですから。まるで迷いなく未来に向かうみたいに。

 私はまたのろのろと車いすをこいでいきました。微妙な登り坂がきつかった。こちらは遠い未来よりまず、当面の体力づくりに励まないといけないみたいです。



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