変わろうとすること〜当事者研究始めます。その1

傾聴ボランティアをしていると「だれにも話せないし、わかってくれない」「すごくさびしい」という言葉をよく聞きます。
つらさと共に孤独や寂しさがつのり「自分は無価値、人生は無意味」という絶望に変わり「消えたい、楽になりたい」というあきらめの境地に変化していく。

『みんなの当事者研究会/熊谷晋一郎編』という本にて國分功一郎さんがハンナ・アレントの孤独の定義を引き合いに出してこう語っています。

【「孤独」とは私が私自身と一緒にいられることである。それに対し、「寂しさ」とは私が私自身と一緒にいられないことであり、それ故に他人を求めてしまう状態である】

自分が自分でいられるとこはとても大切なんだと思います。でも、難しいと感じることも多い。

生きづらさを感じている時って、考えている対象が「過去や未来」「他者」「社会」といった自分だけではどうにもならないものにとらわれているときが多いんですよね。起こるかどうかわからない未来の不安や、やってしまった過去の過ちに不意におそわれて「ぐわわ〜」って頭を抱えてしまうことは誰にだってあるし、それが自分の時間に侵食してくると本当ににしんどくなる。
なので答えの出ないものにとらて自分や他人に責任を追求するような思考をしてしまう場合、問題を客観化して語ってみるというやり方があります。

それを専門用語で「外在化」って言うんですけど…わかりやすい例えでいうと、あれですよあれ、『人志松本のすべらない話』。お笑い芸人さんが過去のひどい目にあった話をネタとして面白おかしく話してるパターンがあるじゃないですか。ああやって「自分だけのものだったしんどさ、つらさ」を「公的な場でユーモアを交えて話す」ってのは人生をしっかり生きぬく方法としてすごくアリな方法だなって。芸人さん、実際その場にいたらメチャクチャしんどそうなエピソードなのにすごく面白おかしく、そして切なさや皮肉なんかも交えて話してます。しんどい出来事も「ネタにしたろ!」って気持ちがあると改めて自分の中でしっかりと振り返りができてそれがさらにうまい話術に乗って極上の共感を誘う話に変わっています。

そうなるまでにしっかり自分の中で準備(省察)しないといけないので、その作業はしんどいかもしれませんが、つらさが大きすぎる人はぜひそうやってつらさを他者に語れるものにする方法を知ってほしいな、と。そのための安心、安全な場を提供するのも当事者研究会の大事な役目です。

わたしが傾聴ボランティアでお話をうかがうっているときもなかなか話しづらそうにしている方も多く、でも対話をしていくと、小さな語りから大きな語りへの移行準備ができていきます。そしてどの段階であれ、共感をベースにした対話は産物としての「治癒」をもたらします。
なので自分の中で処理できない、消化できない出来事や感情は勇気を持って誰かに話してください。いや、勇気なんて必要ないくらいの場があればみんなきっとそうしたいはずなんです。自分だけでなんとかしようとせず、そういう場、相手を探してみてください。プロや身近な人たちだけに依存するのではなく、いろんな距離感の人にそれぞれに合った話をしていくだけに出来ると受け止める側の負担も減らすことができる。近ければ近いほど話しにくいこともありますし、相手の容量も得手不得手も違いますので受け止めきれないこともありますからね。

そういう場を「当事者研究会」として提供する試みがあります。
私も過去に小さい規模で開いていたことがあり、今またそれをやりたいという気持ちがわいています。


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