自分を語る言葉を探す旅

ドラマでも放映されましたが、雪が自分の火傷跡をさらして「本当の自分」をリナに見せるシーンがあります。この場面、みなさんいろいろな意見があったと思います。今回はあのシーンに潜む「自分を語ることの難しさ」について書こうと思います。


【自分を素直に出すことそれを受け止めることの難しさ】

リナが雪にかけた言葉は「かわいそう」「気づいてあげられなくてゴメンね」といった同情や憐れみあふれる言葉でした。それによって雪は諦めや無力感といった感覚に襲われリナを抱きしめ返すことができませんでした。ここだけ見ると「リナひどい」ってなりそうですよね、実際わたしもそう思いました。でもこれまでのリナの言動を見ていたら仕方ない事だったなと思ったんです。
リナは聡明で自分でも“自分に起きていること以外の事柄に対しては割と冷静に物事を見られるタイプだと自分では思う”と語っています。自分自身が何に対して喜びを感じるか、他者に対して自分がどう振る舞えば喜ぶのかをわかっています。自分のことをよくわかっている。だから雪とのあの対面のシーンも自分を主体として自分がどう思っているかを素直に言った。いますよね、悪気なく自分の言葉を発せれる人が。そこに他意はないけど他者もいないんです。雪がどういう思いでこの姿で現れたのか、リナの中にはなかった。あそこではやはり雪自身が勇気を持って「自分語り」をしなくてはならなかったんだと思います。でもそれは仕方なかった。雪だってどう語っていいかわからないんです。だってとても大事な友達の前だったんですから。でもリナの反応だけで諦めてしまった。

自己開示、これはゴールではなくスタートなんです。


【言葉と時間をつくすこと】

相手に対して自分の本心を伝える。怖いことです。とても勇気のいることです。近しい人ならなおさらかもしれません。嫌われたらどうしよう、心配かけたらどうしよう。大事にしている相手だからこそ言えなくなるものです。勇気を持って相手に伝えたとしてそこですぐに受け入れられるとは限りません。相手にだって受け止める時間が必要なんです。そもそも自分の本心をほんの数回程度で伝えることなんて不可能です。何度も言葉と時間を尽くしてお互いが近づいていく、そういう作業が必要なんです。
だからあのシーンで雪はリナに対してすごくガッカリしたとは思うのですが、それ以降も細々と関係を切らずに続けていることはすごいなと思います。続けていれば届く可能性がある。
Episode,03の彩と光晴のように自己開示してそこがゴール、にしてしまってはそこから先がありません。彩の場合は光晴は自分とは分かり合えないと決めてかかって半ば自分を悪者にして別れを覚悟して全てをぶちまけてしまった。彩のやさしい面が出てしまった。あそこで光晴を信頼できていたら、と思うんですけど光晴の反応も突然でびっくりで流石にあれ以上は酷でしょうから仕方なかったと思うんですが。まあ彩がどうしても自分を曲げたくない、その強さが彩ではありますが、言葉と時間を尽くさなければああなったしまうのも致し方ないことです。雪とリナのようにあそこをスタートラインに出来ていたらな、と思います。


臨床心理士・東畑開人さんのインタビュー記事を引用します。


東畑 僕らは、今、他者をすごく恐ろしく感じる時代に生きています。他者って謎なんですよね。何を考えているか、何をするかわからない。前回でもお話ししましたが、だからこそ、抜き差しならない、相手と向き合って関係を確保しなくてはいけない時には、話し合いが必要です。ただ、ことばにすること自体にはリスクに満ちている。
小川 心に触れられるというリスクですか?
東畑 ことばって、二人が通じ合っていないことを明るみに出しますからね。そこには痛みがあります。でも、通じ合っていないことがわかることで、じゃあどうしたらいいのかって考えることもできます。



ただ、この自己開示をスタートとした「言葉と時間を尽くすこと」って、やっぱりすごく難しいことなんでよね。この後のインタビューでも語られていますが、これは個人の問題ではなく社会がそう急かしている部分もあると思うんです


【便利な言葉で語ることの良さと弊害】

再度インタビュー記事を引用します。


清田 東畑さんにぜひ聞いてみたかったテーマがあって、心にまつわることばには「便利なフレーズ」みたいなものがあったりするじゃないですか。この連載でも「自己肯定感」や「メンヘラ」という流行りことばを取り上げたことがあるのですが、わかるようでわからないというか、どこかざっくりしすぎていることばではないかと感じていて、東畑さんはそういう便利なフレーズが流通していくことをどう思っていますか?


この後こう言った共通言語における連帯や安心感、便利さによる弊害も語られます。
「自己肯定感」「メンヘラ」「ストレス」「死にたい」「HSP」
私たちは多くの自分の心を表す便利な言葉を持っています。手軽だからこそ連帯が生まれ孤独をやわらげることができる。それらを使えば伝わりやすいしめんどくさくない。しかしこのめんどくさくないってのが厄介なんですよね。
リナが飲み会でやってたことがまさにこれで、興味のない男性にからまれた時に

“えーでもリナ超メンヘラだからやめといた方がいいよ”

って答えていたんですよね。すごく危ういなって。メンヘラって自分のメンタルヘルスの不調を心理的負担が少なく気軽に伝えられる良い言葉だと思うんです。だけどその言葉があまりに一般的になりすぎて定義というか解釈が人それぞれすぎるんですよね。ものすごくしんどいのに「あー、メンヘラだからね」って軽くあしらわれてしまう。リスカしたところで、死にたいと言ったところで「どうせ死なないんでしょ」「アピールでしょ」と言われてしまう。言葉の重みが人によって違うんです。自分の状態を伝えるには自分の言葉でしっかり伝えることが必要なんです。そこには長い沈黙や言い淀む時間、じっくりと相手の身体の奥底に染み込ませる時間が必要となります。いままで一言で、140字以内で伝えたことが心底相手に伝わったという経験、みなさんはどれだけあるでしょうか。当然、これは伝える相手側にも覚悟と時間が必要となります。

リナはこれまで簡単で、自分主体の言葉でしか相手とコミュニケーションしてこなかった。雄大と旅行に行く話をした時、自分の欲望があるのに黙っていた。自分の奥深さを語る言葉を持っていないし、相手に語る覚悟もない。逆に相手にさらけ出されても受け止める覚悟と、それに気づく感覚も育っていない。
それでもリナはリナの良さがある。自分を褒めて、周りを明るくする言葉を持っている。今後雪といることで、経験を積むことでそのギャップを埋められたらめちゃくちゃ自分と他人を愛せる人になるじゃないかなと思うんですよね。

足りないのは、時間と覚悟です。

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