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「磐長姫(イワナガヒメ)と木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」

◆「磐長姫(イワナガヒメ)と木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」

 八ヶ岳と富士山は、背比べ伝説だけではなく、深いつながりがあります。

 八ヶ岳の中の権現岳(2,715m)山頂に、磐長姫(イワナガヒメ)をご祭神とする檜峰神社の石祠があり、真っ直ぐ、富士山を見つめておられます。

 そしてその視線の先の富士山(3,776m)の山頂には、浅間大社奥宮に祀られている、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)がいらっしゃいます。
 この二人は、山の神である大山津見神(オオヤマツメノカミ)の娘で、磐長姫が姉で、木花咲耶姫が妹です。

◆古事記によると
 古事記によりますと、天孫降臨で有名な、天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、高天原から日向の国に降り立ち、現在の鹿児島県の笠沙岬で、美しい妹の木花咲耶姫を見初め、求婚いたします。
 父、大山津見神は大いに喜び、姉、磐長姫とともに嫁がせましたが、磐長姫はたいそう醜かったため返され、木花咲耶姫だけがとどめられ妃となりました。

 大山津見神は、
「木花咲耶姫には、御子の世が木の花の栄えるように栄えますように、磐長姫には、御子のお命が岩のごとく永遠でありますように、との意味をこめて、二人を差し上げましたのに、磐長姫を返されたからには、天神の御子のお命は木の花のようにはかないものとなりましょう。」
 と申され、それ以後天皇のお命は短くなったと伝えられています。

◆なぜ、権現岳(八ヶ岳)と富士山に
 さて、古事記では、磐長姫と木花咲耶姫が登場するのは、南九州だけで、八ヶ岳も富士山も出てきません。なぜ、権現岳と富士山に、お二人が祀られているのでしょう。

 ここからは、私の推測になりますが、まず、お父さんの大山津見神は、「山の神」ですので、背比べ伝説で日本一を競った富士山と八ヶ岳は、日本の代表的な山としてお祀りする必要があったのでしょう。
 そして、元々標高が日本一で、ゴツゴツしたイメージの八ヶ岳に姉の磐長姫を、秀麗な姿で、日本のシンボルとなった富士山に妹の木花咲耶姫を祀ったのではないでしょうか。
 私は、権現岳も富士山も登りましたが、特に、権現岳の磐長姫様が、富士山(妹)を見守る姉としての愛を感じました。
 もちろん、実際にはもっと深い設立根拠があったとは思いますが、地質学と古事記から推察される私見ですが。。。

 ところで、古事記や日本書紀には、なぜか富士山の記述はありません。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が焼津や東国に遠征していますので、富士山を見ていないはずはないのになぜ記載しなかったのでしょう。
 色々、謎はありますが、いずれにしましても、神話や神様を身近に感じられる書物や、神社が、全国至る所に存在する日本のありがたさを感じます。

権現岳の磐長姫
富士山頂の浅間大社奥宮

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