君は「忘れじの言の葉」という奇跡的なエモさを持った曲を知っているか?
紹介
「忘れじの言の葉」はグリムノーツというもう終了したスマホゲームに提供された楽曲だ。
以下はゲームに提供されたバージョンではないが楽曲を提供した未来古代楽団の公式Youtubeにアップロードされたものである。タイトルに2022とあるから2022年の再録版という形になるのだろうか。歌っている人はゲームと同じ安次嶺希和子(あしみねきわこ)さん。
なにがエモいのか?
この曲の状況を説明しようと思うが、念入りな調査などはなく雑な検索&私の印象と妄想で以下の文章は綴られる。時系列にもっと詳しい人がいたら是非語っていただきたい。さらに断っておくが私はグリムノーツをプレイしていない。それでも、むしろそれも含めてこの曲を聞いていると視界が滲む。それが何故なのかを説明したい。
まずおそらく今となっては収録されたグリムノーツより有名な可能性すらある曲である。たぶん聞いてみて「え?これスマホゲーの歌だったの?」ってなった人もいると思う。
TikTokで流れてくるのを聞いたことがある人もいるし、歌い手たちがカバーして聞いたこともあるだろう。ファンタジー系の音楽を探していて偶然はじめて耳に入れた人もいると思う。私はその口だった。導入はそれぞれで曲自体のファンが発生している。
公式ではないアップロードされた本曲の再生回数は564万回
歌い手であるウォルピスカーターのカバーの再生回数は786万回
同じく歌い手(韓国)であるDAZBEEのカバーは再生回数6239万回
めちゃめちゃ聴かれている。ゲーム当時を知らないがグリムノーツのプレイヤー数を超えていると思う。
ここで歌詞を見てみよう。
グリムノーツは「物語」を元にしたゲームである。一応グリムノーツ自体のストーリーラインは以下のようなものである。
ここで大事なのは「物語」を元にした作品である。ということである。
私には歌詞と元のゲームが組み合わさることでサービスが終了した全てのスマホゲーのことに感じるのである。
さながら散っていったゲームとそのキャラクター達への鎮魂歌のようだ。
言の葉を紡いで 微睡んだ泡沫
旅人迷いこむ 御伽の深い霧
ゲーム開発者達が言葉を紡ぎ、泡沫の世界を作り上げる
プレイヤーをゲームを始め、その物語の中を進む
差し伸べた掌 そっと触れる予感
受け止めて零れた 光の一滴
物語は始まり、キャラクター達と出会う。
なにかが少しでも刺さり、いいなと感じそのゲームを続ける
面影虚ろって 微笑んだ幻
想いの果てる場所 まだ遥か遠くて
ゲームが流行らず終了の気配が漂う
物語の道はまだ全然途上にある。キャラクター達は何も解決できていない。
求め探して 彷徨って やがて詠われて
幾千幾万幾億の旋律となる
プレイヤーはゲームを気に入っていたりコンコルド効果だったり惰性だったりで終わりかけた世界を彷徨うように続ける
こうしてこれまでに何百、何千というキャラクター達が作られ、何千、何万という人がそれらキャラクター達を必須級やレイド専用や人権性能だのと言いつつ様々な思い入れをもって使う
いつか失い奪われて 消える運命でも
それは忘れられる事なき物語
当たり前のことだがほとんどのスマホゲーは終了する。いわゆる爆死することもある。コンシューマ版と違ってほとんどのタイトルは存在が残らない。設定資料集などが発売されるものは稀で本当に消え去る。
それでもそれを遊んだプレイヤー達はいて、中には感動して涙を流されたり、終わって欲しくないと願われながら消えた物語もあっただろう……。
もちろん拡大解釈だ。ちょっと美化しすぎている。消えていったゲーム達には運もあるだろうが消えていった理由がある。正直ただの集金装置じゃねぇかというゲームもたくさんあった。プレイヤーを舐めてんのかってくらい搾り取りに来るゲームもあった。実際ソシャゲーとまだ呼ばれていた黎明期は儲かるからってことで全然ゲーム好きでもなければ二次元のコンテンツに思い入れがない人が立てた企画で作られたものがいっぱいあった(別に今もない訳じゃないかもしれないが覇権ゲームに成り代われたもの以外はあまりにも早く爆死するかなり厳しい状況にはなっている)
それでもやっぱり開発者というのは企画を立てた一人ではなくて、絵師もいるし、プログラマーもいるし、他の企画もいるし、シナリオライターもいるし、サウンドデザイナーもいるし、他にもレベルデザイナーだデータサイエンティストだと、たくさんの人が関わって作られるものだ。
その全員が何の想いもなく作っているわけではない。これは正直売れないだろうな……と思いつつも、それでも何か奇跡が起こってこの子の存在が知ってもらえたらいいなと思いながら作り上げていたりする。
そしてプレイヤー達も本当このゲームはなんで続けてんのか自分でもわからないと文句を言いつつもめちゃくちゃに刺さるキャラクターがいたり、心に響いたストーリーがあったりして、なんか続けてたって経験があったりする。生まれがどうであれ、その両者の間には純粋な想いがあったと思う。今となっては誰も覚えていないかもしれない、もう体験することはできないし、ネット上には残っていない、それでも自分だけは覚えている、忘れられない作品、キャラクター。
そんな純粋な想いを形にした楽曲に聞こえてくる。もう聞こえない幾千幾万幾億の旋律がこの世の中にあったのだろうなと感じる。大量に消え去ったスマホゲー達、それはグリムノーツ自身もそこに入る。この現在の状況と照らし合わせてこの歌はなんか異常なエモさを発生させている。爆死したすべてのスマホゲーがこの歌に集約される奇跡の良曲なのだ。
ただグリムノーツは
とあるように終了後も残されている非常に珍しいタイトルだ。別にグリムノーツ Repage(オフライン版のタイトル)の宣伝をしているわけではなく愛されて残されたタイトルがあるということがまた楽曲の魅力を引き立てる。私のように全てが終わったあとで曲を知り、物語を知る人が生まれる。それこそが忘れじの言の葉なのかもしれない。
おわりに
印象と妄想で綴ると書いたように、これは私の解釈に過ぎないので本当にシンプルに曲が好きな人、グリムノーツの思い出と共に好きな人には申し訳ないと思っている。ただなんかこの曲聞くたびに凄くないか?となるので思いを形にして残したかった。
スマホゲーって運営型に限らず本当に二度と遊べなくなるものが普通にあるので、遊んでいる感想が世の中に残るのはそのゲームが世の中に存在した証になる。それはとても良いことだと思うので、PVが伸びなかろうがいっぱい感想記事が書かれるといいなと勝手に思っている。私は映画感想ばっかりであんまりゲーム感想は書いてないが。開発者は意外と読んでる。
あと別にだからガチャを回して買い支えよう!って意図はない。そもそもガチャシステム自体に肯定的な人間ではない。そのおかげでゲーム業界が息を吹き返した面があることは理解しているし、ガチャを回してない訳ではないが普通に個人が払える無理のない金額の範囲内で楽しもう、完凸しないと愛がないとかはちょっと狂ってるので冷静になろうという派閥だ。自分を活かすために好きなものと適切に接しよう。
観たいものも読みたいものも尽きないのでサポートいただければとても助かります。