RTA(後半)

前編

かくして僕は、大学ではなるべく課題とテストだけで取得できる講義ばかりを選んで、RTAばかりをする引きこもりへと進化した。単位はそれなりに取ってちゃんと卒業を確保しようとするあたりが、なんとも落ちぶれきれない僕らしさを感じる。

最高に楽しい日々だった。何せ国内では実力があったので、それはもうネット弁慶が加速した。国内RTAerの中では敵なしだと思ったので、若さもあってあのときの僕はかなり暴れてたと思う。巻き込まれた人たち本当にごめん。

もちろん様々な方面でクラッシュに詳しい方々との関わりを通じて、自分の知識量が井の中の蛙であることを実感もした。それでも少しずつ、少しずつ、彼らの知識を吸収していき、全盛期では日本じゃ俺よりクラッシュを詳しい人なんていないと言わんばかりの自信に満ち溢れていた。自信の輪郭がどんどん分厚くなっていくのが、心地よかった。

RTAに初めて触れたのは世界記録だったが、海外勢がどの配信プラットフォームで活動しているのかを知るのは、僕が日本でブイブイ言わせていた頃よりもう少し後となる。当時はYouTube Liveなんてなかった。クラッシュのRTA関連動画を漁る過程で、Twitchの存在を知る。2013年、この頃にTwitchなんてものを知っていた日本人は、本当に僅かだと思う。ニコニコよりも圧倒的に便利な配信サイト。配信方法に関する記事なんてほとんどない。それでも動画だけでしか知ることのできなかった海外勢たちとの競い合いに憧れ、僕は早速飛び乗った。

帰国子女で、英語が少し喋れることがまさかこんな形で生きるとは思わなかった。昨今英語が喋れる日本人の数は増えてはいる。RTAに関わる英語喋れる勢なんてのも今では一定数いるだろうが、あの当時は皆無に等しかった。そんな中で、海外勢の中でも悪くない記録を収める日本人は珍しかったのだろう。海外勢との交流をどんどんしていった。彼らと通話を繋げながらの並走もしたことがあるし、そのときに僕を知った方々とふとしたときに未だに遊ぶこともある(つい最近では日本に移住したPuppetや日本に遊びにきたBuffSeagull、Nerfrippと飲みにいった)。2022年に一瞬だけRTA活動を復帰したときに、僕のことを覚えていて復帰を嬉しいとコメントしてくれたGproやBoom、彼らには完全復帰とはならずぬか喜びをさせてしまって本当に申し訳ないことをしたと思っている。

RTAを通じて、本当に僕はたくさんのことを学んだ。人間としての自信も取り戻したし、国内外問わず得られた人間関係の尊さは今もこれからも噛みしめ続けるだろう。残念ながらクラッシュで世界記録を取れることはなかったが、最高世界2位にまで上り詰めた。黎明期のRTAerとして語り継がれこそしないが、あの当時誰にもできなかった海外勢との交流を誰よりも先に始めたという自負もある。なぜそんな僕がRTAを引退したのか。

社会人となり、仕事が始まって忙しくなった。RTAは、正直時間のコスパが悪い趣味だ。練習するのも時間がかかるし、本走でも1時間以上の時間はあっという間に消費されてしまう。でも引退理由はそれだけじゃない。それだけじゃ、ない。

本当に好きならばどんなに忙しかろうと寝る間を惜しんででも続けられる。あるいは転職して、RTAが続けられるような仕事に就くという選択肢もある。僕はそれをしない。する気がない。

僕はクラッシュを愛している。RTAをやっていたのも、クラッシュへの愛を、誰にも文句言わせない記録という形で証明するためだった。僕が望む、リメイクや続編がいつか作られて欲しいという希望だけを頼りに。次第にこの気持ちは、できる限り多くの人たちからクラッシュへの興味を失わせないようにするというものに変わっていった。新作が10年近く途絶えていた当時、クラッシュというコンテンツを世間で食い繋がらせるにはRTAの意外性と懐古しかなかった。だからクラッシュのRTA配信をしている新規勢を毎日検索し、鍵村であることを明かさずに、そっとコメントでフォローして、自然にクラッシュRTAにハマらせようとしたりした。

そして待望の、クラッシュのリメイクが発表されることになる。社会人1年目の研修のときのことだ。ニュースを見たときは飛び上がったし、社食で同期達とランチ中だったにも関わらず大声をあげてしまった。だがその中身は、僕が本当に望んだ形ではなかった。

僕はノーティドッグが生んだクラッシュが大好きだった。もちろんノーティドッグ製以外のクラッシュも愛している。逆に攻略したくなるクソみたいな難易度と、中身の作りは甘いけど過去作へのリスペクトを感じるステージが並ぶカーニバル。クラッシュの世界観とキャラへの解釈を広げつつ、没要素のジェットボードに乗れちゃうようなチャーミングなバグが無限に見つかる5。操作に重量感を感じるが、それでも偉大な前作を再現と新規性にチャレンジしつつ、「そのダイエットはお笑いだぜ」という謎明言を残したニトロカート。ノーティドッグ製には及ばないがどの子もとっても愛おしい作品たちだ。旧4こと魔神パワーは知らん。

クラッシュにおける版権の問題はややこしい。端的に言えば当初はソニーの看板を張っていた彼だが、今はマルチプラットフォームでゲームを発売することを意向としているアクティビジョンブリザードに属している。ノーティドッグはソニーのファーストパーティであるため、アクティビジョンブリザードがクラッシュの続編製作をノーティドッグに依頼することは、ほぼないだろうという構図だ。

もちろん当時の僕もそれは理解していた。でもひょっとしたら、アクティビジョンブリザードがソニーのヒーローを望むクラッシュファンの気持ちを汲んでくれるのではないか。そこまでいかなくとも、ノーティ時代のクラッシュを忠実に再現してくれるのではないか。リメイクにそんな期待を寄せていた。

ノーティドッグ製という最上級の望みが叶うことはなかったが、アクティビジョンブリザードはかなり良い出来のリメイクを作ったと思う。グラフィックは、忠実に再現したうえで美麗になっていたし、原作で没になったステージを追加したりとコアなファンの心をくすぐる内容もたくさん盛り込んでいた。

しかし残念ながら僕はハマることはなかった。リメイクのRTAをしたいとすら思わなかった。どんなに見た目は良い出来でも、原作と操作感が違う。ジャンプしたときの感触、スライディングの持つスピード感、アクションの一挙手一投足…どれもが僕が最も愛するクラッシュとちょっとずつ違うのだ。かけ離れているよりも、中途半端に似ているほうが、よっぽど苦しい。皮だけ似ていて中身が違う。リメイク以外の作品たちは駄作と言えるものもあったが、別物だからこそ別の良さを見出すことができていたのだ。リメイクは似せている分、それもできない。愛を持ってRTAを続けてきたからこそ磨かれた操作感覚がここで皮肉にも仇となる。

僕はクラッシュが復活した暁にはというモチベーションでRTAを続けていた。その復活そのものに違和感を覚えてしまったら、僕は一体何をモチベーションにしてRTAを続けることができようか。

RTA最前線から離れ数年経った。途中でRTA活動を復活させた時期もあったが、それも長くは続かなかった。僕は僕が本当に求めるクラッシュの復活が来る日を諦めてしまったのだ。クラッシュへの愛を、RTAで体現したいと思えなくなってしまったのだ。だから僕はRTAを引退した。

もちろん今でもクラッシュのことは愛している。きっとこれからも続編が出たらきちんと追うし、たまにRTA仲間たちと並走したりもするのだろう。かつての燃え盛るようなモチベーションは失われても、引きこもっていた僕を救ってくれた彼のことは死ぬまで敬愛し続けていく。いつまでも理想のヒーローが帰ってこない、鈍痛のような哀しみに暮れながら。

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