直感で起業してなんとなく上手くいったけど、やっぱり失敗した話【その1】
すんごい本が出た。
ふろむださんの著書
起業して14年。これまでモヤモヤ考えていたことや、疑問に感じていたことが一気にまとまり、今までのストレスも含めて解消されるような内容だった。
どれくらい、すんごいか。
タイムマシーンに匹敵する
それくらい価値がある。
38歳になり、すでに多くの時間が過ぎ去ってしまったけれど、これからの時間を何倍、何十倍、何百倍も濃厚にしてくれるかもしれない知恵が詰まっている。
ちょっと言い過ぎたかな。
でも、もしタイムマシーンが存在するなら、24歳の自分に殴り込みをかけ、ほっぺたギューした上にこの本で頭をぶっ叩きたい。
死神に寿命を10年捧げようが、ドラえもんに1億円請求されようが、そんなことは大した問題ではないと思えるほど、ぼくにとってすごく価値がある本なのは間違いない。
なんとなくすごいかもと思ってしまう感覚の正体
同じことを言っていても「誰が言うか」で、その言葉の価値、受け取り方が変わるって世の常。
ほやほや社会人と、上場企業の社長が同じことを言っていても、重みが違うような気がしたりする。なぜかはわからないけど、なんとなく。
好きな人と嫌いな人が同じことを言っていても、より共感できるのは「好きな人から言われた」ことかもしれない。
容姿や肩書など、実力とは別の要素によって、なんとなくその人の能力を底上げしたり、着色してしまうことは、みんな経験があるはずだ。
「そんなことない!わたしは何を言っているかくらい見極められる!」という方の声が聞こえてきそうだ。
でも、それがまさに「錯覚」であるというのだ。
その錯覚によって得られるメリットのことを、ふろむださんは「錯覚資産」と表現している。
そして、その錯覚資産は「意図的に増やす」ことができるという。
これらをぼくは今まで「ブランディング」だと思っていたけれど、そのブランドの価値がどのようにして作られているかを、「錯覚」という視点から巧妙に説明されている。
また、その錯覚資産は「卑怯な武器」でもあると付け加えられているが、いやほんと、こんなことが実現できるなら、卑怯と言われてもおかしくない。
まさに錯覚を起こしたことで失敗し続けてきた話
冒頭でも触れたように、わたくし曲がりなりにも起業して14年になりますが、相変わらず無名でございます。
「相変わらず」ということは、名を売りたい、みんなに評価されるようないいものを作りたい、と思っていたということだけど、それが上手くいかなかった原因は、この本が取り上げていることが見事に説明してくれている。
そして、ここからは願わくば、無名のおっさんの戯言だろくらいな感じで流し読みしてほしい。
運を実力だと信じきっていた
起業当初から、運だけは人一倍あった。
中卒で学歴もなく、経験もない、若さと勢いだけが取り柄のぼくが、なんとなく起業して、自分だけでは抱えきれないたくさんのお仕事をいただいてこれたのは、紛れもなく「運」である。
ただ、チャンスをモノにして実績を積み上げなければ、資産をどんどん増やしたり、会社を大きくすることはできない。
そして、チャンスをモノにするには実力が必要。
こんなことは当たり前の話なんだけど、運に恵まれていたその当時、ぼくはたくさんの仕事をいただけることが、「運ではなく自分の実力」だと錯覚していた。
若さ × 報酬 = おれすげええええええ
その「大きな勘違い」で、自分の期待値が無意識に底上げされ、お客様に対して「利己的な要求」を押し付けてしまい、期待をことごとく裏切り、どんどん仕事と自信までをも失うことになる。
さらに恐ろしいのは、仕事を失っても、またすぐに仕事が入るような確変状態だったため、それに気づくのにより多くの時間を浪費することになった。
まさに「運を実力だと思って調子に乗った、ただの勘違い野郎」だけど、悪意はなく、ただただ自分は正しいと思い込んでいた。
それに一切気づくことなく、相手への配慮に欠けたまま我が道を貫き、大変多くの方に迷惑をかけ続けてしまった。
そうして10年くらいはあっという間に過ぎ、残ったものは何もない。あるのは借金くらい。
勘違いが生む地獄
「運も実力のうち」という人もいるだろう。
もちろん、そうかもしれない。
ただ、ここで問題なのは、今まで運や実力だと思い込んでいたのは、実は「錯覚資産」によるもので、自分自身の錯覚資産を錯覚するという、とんでもない混乱状態に陥っていたということだ。
そしてこの混乱は、過信だけではなく、「自信のなさを加速させる」可能性もある。
過度に自分に自信がないと思っているのなら、自らの持つ錯覚資産との落差、理想と現実のギャップが、そう感じさせているだけなのかもしれない。
ぼくに必要だったのは、自分の「錯覚資産」を正しく認識して、運や実力だと勘違いすることなく、それに見合った実力を磨き続けることだったのだと気付かされた。
いや、もっと言うと「錯覚資産」ばかりに磨きをかけて、いつのまにか実力とかけ離れてしまっていたのかもしれない。
どちらにしても、実力がなければハリボテは見破られ、いつかは信用を失う。
そうならないためには、矛盾を俯瞰して、ギャップをコントロールする技術を身につけなければならない。
38歳のぼくが24歳のぼくに会って伝えたいこと
その頃のぼくは、尊敬する先輩から最高のアドバイスをいただいても、耳をただ通過する情報くらいにしか受け取れないくらいアホだったので、何を伝えたところで、意味すら伝わらないのはわかっている。けれども、それでも伝えたい。
それが親心というもの。
それに、ただの日記のようで、誰の役に立つかもわからない内容だけど、たまには盛大な失敗話があってもいいかなと。
で、早速続きを書こうかと思ったものの、1500文字を超えたら記事を分割しよう、というnote 深津さんの記事を読んだので、それにならい詳しくは次回の記事にあずけようと思う。
なんと、「人生は、運よりも実力よりも『勘違いさせる力』で決まっている」
こちらの本に掲載されている5章までの内容を無料で公開するらしい。これまたすんごい。
興味持たれた方は、ぜひ読んでみてね。
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