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ふちがみとふなと 「坂をのぼる」

https://m.youtube.com/playlist?list=PLnPBdZTaP-1r5fQMEcfnot5tDVgabjCRJ

 「坂をのぼる」はふちがみとふなと、というふたり組のアーティストによって発表された二〇〇三年のアルバム「ハッピーセット」に収録されている。僕はこの曲を初めて聴いた時から強く心を掴まれて、それから何度も何度も、それこそ数え切れないぐらいの回数僕はこの曲を聞いた。どうしてだろうと考えてみると、それはあまりにも個人的すぎて、他人にこの曲を勧めるに適していない理由のように思う。だからこの文章は批評でもなければ誰かにこの曲を聴いてもらうためのものにもならない。ただただ僕の個人的な思いを綴る雑文になるだろう。
 ぼくは十代の頃をちょっとした田舎で過ごしていた。とはいえコンビニがなかったとかそういうレベルではない。だけどスターバックスやタワーレコードなんてなかったし、レンタルビデオ屋に行くには自転車を二時間ぐらい走らせなければいけないとか、そういうレベルだった。そんな場所で僕は毎日一時間ぐらい市内を流れる川の堤防沿いを自転車で走って学校へ通っていた。夏の信じられないぐらい暑い日とか、冬のみぞれが降っている途轍もなく寒い日とかも。通っていた学校もこの道沿いにあって、考えてみると僕はその頃の思い出のほとんどをこの堤防沿いで過ごしていたように思う。部活の走り込みとか、仲のいい友人たちと何時間も喋ったりとか。河川敷に降りる石段の途中は通っている学校の生徒だらけだった。
 話を戻すが、「坂をのぼる」について書こうと思うのは、この曲がいつも僕のそんな原風景のようなものを思い出させてくれるからだ。正直言って複雑な気分になることもある。僕は大学を卒業する時、故郷を捨てて二度とあの場所には戻らないと思って長い間住んだ町を出て行った。だけどその町が現在の僕を形作ったことも確かで、この曲はいつもそんな想い出を蘇らせてくれる。
 少しネガティヴなことを言うと、聴いて貰えばわかることだが、この曲の構成自体はありていに言えばBen E.KingのStand By Meに酷似している。通底するベースラインや展開など、全てとは言えない間違いなくリスペクトしているのだろう。しかし、それを補って余りあるほどの哀愁がこの曲には満ち溢れている。それはボーカルをとる渕上純子の歌唱と間奏部に鳴る木枯らしのようなハーモニカ、そして何よりも情景が浮かび上がるような美しい歌詞にあるだろう。
 以下にその一部を抜粋する。

「ひらけた谷を屋根が埋める / みんなも山とは呼ばない景色 / 高圧線の模様の空が / 町でいちばん大きな景色」

 この部分を聴くたびにいつも僕は捨て去った故郷のことを思い出す。僕の町もそうだった。山といえるほどではない山岳に囲まれていて、そこに登って町を見下ろすと自分の住んでいる場所がたまらなく小さく見える。空には高圧線が張られていて、まるで自分がそこに閉じ込められているように感じる。
 僕はそういう場所で子供らしく思春期を過ごして、恋をしたり悲しくなったり何かに怒ったりしていた。考えてみるとマイナスのことの方が多いかもしれない。絶対にあそこに戻って暮らしたいとは思わない。それでもそこで暮らしていた日々の全てを嫌悪する気にはなれないんだろう。

 最初にも書いたように、他人にこの曲を勧めるために使うにはあまり適していない文章になった。だけどこれを読んだ誰かが四分ぐらいの時間をこの曲のために割いてくれて、そしてもしかすると僕のように昔のことを思い出してくれたら良いと思う。

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