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選ばれない理由

皆さまご機嫌いかがでしょうか。ヨガインストラクターで日本茶アドバイザーのまるやまゆみです。
先日配信されたnoteのyoutubeライブ。

現在、インストラクター講習会に参加して自分のインストラクション能力のなさに頭を抱えている私。話し方とか表現の仕方について本を読み漁っているところに渡りに船。藁にもすがる気持ちで動画を拝見したのです。

結論から言えば、自分に能力がないと思っていたけれど、その原因は圧倒的な努力不足。これが「能力のなさ」の正体です。
動画を拝見して、私は「一にも二にも努力しかないんだ。」と感じたのです。

私の心に残ったトピックは次の3つです。
・ゲストについて事前に入念な下調べをする。
・”好意を伝える”ための質問。
・相手にどうすれば伝わるのか、どの部分を切り取るのか。
それは、相手のことを考えた行動ということ。この3つとも話しかける相手、聞いてもらう相手に向けた配慮です。

今の私は3つともできていない。改めて考えると、私の指導は、「自分が話したい」「自分が喋っていて楽しい」「自分が良い気分になれる」自分本位なことばかりです。
だから、声の抑揚とかトーンとか、そういったことに配慮がなかったのだと気づきました。自分の気分が良ければなんでもお構いなし。
要するに私には相手がいないのです。独り言を言いっぱなしで話す相手がいない。だから相手を思いやれないのです。
通常、ヨガのレッスン中は1(私)対大勢(生徒)になります。この”大勢”というのが私の中でぼんやりしているんだと気づかされました。ぼんやりした聴衆に向けて、独りよがりな漫談をしている売れない芸人。それが今の私です。
いや、芸人さんだって独りよがりでは売れないでしょう。だってそんな芸は面白くないから。恐らく自分の立ち位置を客観視できなくては売れないだろうと思います。周囲のニーズを把握して、自分ができること、出せるものを提供していく。自分の個性を出すというのは本来そういう行為です。自己満足を無理やり押し付けることではありません。

すでに来てくれている生徒さんに対しては、どんなものを求めて参加しているのか想像しやすいです。目の前にいる人だからニーズを的確に伝えるための話し方も分かるはず。でも、果たして自分にそれが出来ていたのか…?反省です。
毎週書いているnoteの記事もそう。「自分の個性」だと痛い文章をこれまで書いてきました。最初のころは特にそう。一度読み返して読みにくさに閉口したことがあります。どうでもいい余談とか、ダラダラと長い文章ばかり。少しずつシンプルで実のある文章になるよう気を付けてきました。まだ精進が足りませんが…。

それぞれクラスによって特徴があります。参加者さんの属性、曜日、時間帯によってそれは変わります。今は努力しないで対処できるところでお仕事をいただいている状態です。(指導を始めたばかりのころは、本当に全くできなかったので、これでも努力はしたのですが…)
惰性で仕事をしているだけでは幅が出ない。これからプロとして生きていくつもりなら、クラスを自分に合わせるだけではなく、クラスの特徴にハマる努力や工夫をしなくてはオファーをいただくことはできません。その努力や工夫というのが相手のことを思いやることなのです。

ここ最近これまで目を背けて見ないようにしてきた、私の人間としての至らなさに嫌でも目を向けざるを得ない状況に追い込まれています。
それは非常に心が引き裂かれる思いです。大人になって自分の人生や性格にダメ出しをされるというのは素直に聞く耳も持てず、逃げ出したい気持ちしかありません。
最悪聞いているふりをして直さないという方法もあるでしょう。しかし、それでは心が折れ損です。折角の機会が無駄になる。私はここに何かを得るためにやって来たんだだから…とひたすら耐えています。周囲からもはっきりわかる形で落ち込んでいるようですが。

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