勉強をする必要があるのか

皆さまご機嫌いかがでしょうか。ヨガインストラクターで日本茶アドバイザーの まるやま ゆみ です。
私の文章に目に止めていただきありがとうございます。

子供の頃は、大人になったら使わないのに何で勉強するんだ?と思っていました。同じことを思われる方は多いのではないでしょうか。

知識が多い方が見どころが増える

自分の住んでいる町ひとつとっても、昔はどのような土地だったのかを知ると、スルーしてしまいそうなわずかな変化にも気が付くことができて、極端な話、地元のスーパーに行くだけで”観光”できるのです。

例えば

子供の頃から「地下鉄は水漏れしがち」なのは、地下鉄あるあるというか、当たり前でなんとも思っていませんでした。
職員さん手作りだと思われる『天井からの水漏れ対策装置』を見ては、いつか地下鉄は水没するんだろうと思っていました。

今朝、某鉄道系YouTuberさんが『東京駅周辺の地下を走る鉄道が悩まされる地下水の話』を取り上げている動画を見ました。

日本のみならず、世界各地の大都市圏には地下鉄が走っています。これまで利用するときに何にも考えたことがありません。
これまで利用したことのある地下鉄を一生懸命思い出していますが、水浸しでは無かったかも…?気にも留めていませんでした。

動画で取り上げるくらいだから、水浸しは珍しい事象なのでしょう。

私が見た動画はJRの話で、地下水の解決策も「へぇー!そうなの!」と驚く内容。明日もその鉄道を利用するのですが「あの動画で映ってたところ見てみよう」という気持ちになっています。

勉強した方が人生の選択肢が増える

まぁ、これは言わずもがな。私は勉強してこなかったために選択肢が狭まったなぁと思っている一人です。

でも、これについては挽回のチャンスがあると思っています。

インドの人はどう考えていたのか

さて、ヨガ哲学の本、ヨーガ・スートラでは勉強をどのようにとらえているのでしょうか。第1章15節にはこんなことが書かれています。

見たり聞いたりした対象に、無欲になった人の自己統御の意識が無執着である。

ヨーガ・スートラ パタンジャリ哲学の精髄 原典・全訳・注釈付
A・ヴィディヤーランカール著、中島巌編訳
東方出版

ヨーガ・スートラでは、まずヨガの目的を第1章2節で、更に目的を達成した時どのような心境になるのかを説明しています。

ヨガの目的を達成した時、本来あるべき姿になると言っているのですが、その姿というのが心によって変わると説明しています。

で、その心の動きというのはいろいろあって。
正しい知識を学ぶことで、心が苦しまず安定した状態でキープしやすくなるよ、という話だと私は理解しています。

第1章15節では、心を安定させるためには勉強し続けようねー、勉強は心を安定させる手段だよー。ということが書かれています。(意訳)

少し余談です

少し古い記事なのですが、とても心に残っている記事があります。

知識をただ詰め込んで、ひけらかすだけでは本当にもったいない。まさに猫に小判、豚に真珠です。

この記事で取り上げられている方は、大学院で思考力のトレーニングができたと感じていらっしゃいます。
そしてそれは何にも代えがたい財産なのだろうと、この記事を読んだ私は思ったのです。

覚えた知識が正解か不正解かではなく、みんながハッピーになるためにどうしたら良いのか考え抜く力。
これは他人を論破するには邪魔な、論破していたら絶対に身につかない力だと思っています。

思考するためには、基礎力として知識が必要になってくるので、もちろん知識の勉強も大切です。

ヨーガ・スートラには思考力について言及しているような感じはないのですが、自分の心を穏やかにするための勉強というのは、まさに思考力をつけるための勉強だろうと思います。

心の動きにはどんなものがあるのか、神(イーシュワラ)というのはどんな存在なのか、世界はどのような成り立ちでできているのか等々。
思考するためには、まず前提条件となる知識を頭に入れておく必要がある。

これがまぁ眠くなるわけです。インドの人の前提条件ですから。日本人には馴染みがないのです。

まぁ、頑張って勉強します。

ここまでお読みいただきありがとうございます。
また、読みに来ていただけたら嬉しいです。
それでは。

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