生物兵器

「ねね、知ってる?もしも今、私たちが古代の時代にタイムスリップしたら生物兵器になるんだって。」

 「生物兵器」という聞きなれない響きを心の中で何回も反芻したせいで、私は少し目眩がした。

 なんの変哲もない日常でこの聞きなれない響きを発声したAちゃんは、目を光らせて私のリアクションを求めて来た。私は出来るだけ自然な、談笑の様な振る舞いで、必死に頷いた。私の態度に満足したAちゃんはそのまま話を続けた。

 「本当だよ!なんか現代人は、色んな種の細菌やウイルスを帯びていて、それらに対する抗体のない古代人はそれのせいで皆死ぬらしいよ。」

 一定方向に向かって走る電子の恐竜みたいに、サボテンに当たると死ぬので、一回跳ねて避ければならない。彼女が発する言葉の一つが終わる度に、必ずリアクションをしないといけなかった。いっそのこと目を瞑って、サボテンにぶつかろうと思った。

 「えーーそうなんだ。次タイムスリップする時は気を付けないといけないね。」

高揚感のある声が湿った空気の中に響き、Bちゃんがチャーミングな笑顔で会話に参加してきた。Bちゃんに対して感心したのは今日が初めてだった。このようなリアクションは私には。どうにもできない。次の機会があったら出来るようにと必死に暗記することしかできなかった。

 家に帰り、一人で部屋にこもった。鏡で自分の顔を見て、今日の「生物兵器」の話を思い出した。自分だけが進化の進呈に忘れられた感覚になった。知らないうちに、体が自分を裏切って、勝手に「生物兵器」になってしまっていた。

 自分の指を眺め、この指に宿っている細菌やウイルスを想像し始め、不思議な感覚になった。

 46億年前に地球は誕生した。そして細菌の出現は地球の誕生から約10億年後だと言われている。しかしこれらは正確にはわからない。億単位の歴史を人間が認知しようとするとき、生まれたての赤子が世界を認知するのと同じくらいぼやけているのだから。

 人間は約十万年の期間で現在の文明まで築いてきた。地球誕生から10億年後に細菌が誕生して、それから30億年以上の時を経て、人間が誕生した。この細菌が登場してから、人間が誕生するまでの期間で細菌はいかなる発展を遂げてきたのだろう。

 この30億年間の空白には本当に何もないのか。いや「細菌」が地球を主宰している20億年、人間の貧弱な脳では想像つかない程の文明や次元の上昇を遂げたであろう。


 「手を洗ってご飯にするよ!」

 お母さんの声は絡まった糸のように煩雑な思考に終止符を打った。私はまるで、川で溺れかけていた人が救出された直後のように息を深く吸い込んだ。

 冷たい水が流れてきて、手のひらの温度が奪われた。私は洗面台の上の「殺菌石鹸」の文字をじっくり読んでは少し安堵した。せめて、私たちには細菌を殺す方法がある。しかし、次の瞬間で、そうやって考えている自分の愚かさがわかった。

 私たちは一部の細菌を駆除することができるが、「細菌」そのものを殺すことはできない。そもそも細菌の繁殖方法は自己複製であり、複製体を殺すことにはなんの意味もない。もしも細菌がなければ、私たちは卵一つも消化することもできない。人間は細菌がなければ生きていけない。人間だけではなく、世の中の生物全てがそうだ。私たちはまるで細菌のために働く生物工房。常時、私たちは自分の体を使って糖分を生産し、細菌文明に栄養を与えている。

 「細菌文明」という語が脳に浮かんだ瞬間、私は今までにない恐怖を感じた。私は病的に手を洗い続けた。

 「何もたもたしてんの、早くきて!」

 お母さんの怒りの目線の中、機械的に食べ物を口に運んだ。私の体内の細菌達はこの玉子焼きが好きだろうか。私は「生物工房」としてちゃんと働けているでしょうか。ぼーっとしている私を見て、お母さんがさらに怒った。

 「あなたって本当にいつも何を考えてんの!」

 そう叱るお母さんに対して、私は正直に答えた。

 「細菌の文明が存在しているかを考えててん。」

 お母さんは明らかに呆れた表情を見せた。そしてすぐその後に爆笑し始めた。

 「何バカなこと言うてんの。細菌はね、自己意識がないのよ。」

 この言葉は私を更に不安にさせた。細菌の繁栄の仕方は自己複製であり、それは人間よりもはるかに簡単で効率的だ。多細胞生物は進化していると言うより、退化している。我々は脆くなって、環境に対する適用能力も日々退化している。

 そもそも、意識の正体はなに?脳細胞の集合体はどうやって意識を持つようになった?もし、脳細胞の集合体こそ意識の根本であるなら、細菌は脳細胞よりはるかに巨大な集合体を作り上げることができる。

 細菌の文明は人間とは根本的に異なる。私たちが認識している物質は細菌にとっては無意味である。私たちは細菌を見ることはできないが、細菌は我々のすぐ側で、私たちの想像を超える文明を作り上げた。

 そして細菌は、私たちの発展をただ眺めている。私たちの文明程度は細菌にとっては虚無である。細菌にとっては、新たな文明を作ることも、旧文明を滅ばすことも、非常に簡単なことである。もしも未来、人間の文明が滅んで、猫の文明やゴキブリの文明があったとする。しかし、これは細菌にとっては、根本的には何も変わっておらず、ただ新たな循環の始まりに過ぎない。私は機械的に、食べ物を飲み込み、循環の為に栄養素を生産し続けている。

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