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宗匠たちは芸術家ではなく、芸術そのものになろうと努めた……

 茶道のゲームの一つ、花月の二回目のお稽古。参加メンバーは同年代の男性がまず一人。次に女性が二名。一人は茶道歴二十年の五十歳台半ばの方。もうひと方は茶道歴五十年余りの七十歳台前半の女性。そして、四十歳台半ばの講師の女性の以上五名である。
 講師の方以外、花月初心者の様なものとのことで、まずは席入りの足運びから教わった。
 さっそく、
「カゲロウさんが何度も失敗してくださったのでみなさん、良く理解出来たと思います」
 と、励ましの暖かいお言葉を講師の方から頂いた。それぞれ席入りのための足の運びを行なったのだが、茶道歴五十年の方の足の運びに私の目が止まった。隣りに座っていた講師の方に、
「普通に歩いているのに、無駄な足の運びがないですね。すごい!」
 すると講師の方も、私と同じ事に気付いた様子。
「そうですね。そこに気付きましたか」
 と、私の視点に驚いた様子。さらに、
「無駄がなく何気なく歩いているのに、しっかり足運びができてますよね」
 そこで、覚えたばかりのフレーズで、つい一言。
「岡倉天心の茶の本の中で、茶人の宗匠は芸術家になろうとしたのではなく、自分自身が芸術そのものに成ろうとしたのです、と言ってます」
 すると茶道歴五十年の女性の顔がパッと明るくなった。茶道とはそう言う事だっのかと、発見があった様である。また、茶道歴二十年余りの女性が一言付け加えた。
「カゲロウさんは、お茶を始めて一年あまりと聞きましたが、一番長く茶道をなさってらっしゃるみたいですよね」
「先生にも言われました。カゲロウさんは見た目は大茶人ですけど、お点前をするとボロボロですよね、と。確かにその通りりで、濃茶すら点てられませんから」
 皆から、和やかな笑い声が上がった。講師の方がさらに付け加えた。
「カゲロウさんが花月に参加された動機は和歌を詠みたくて参加されたそうです。それには驚きました。そんな方は初めてでしたから」
 みなはシーンとなってしまった。そこで、よせばいいのに私が、また一言。
「先日、お稽古の時のこと。茶杓の銘を、しづ心、と答えたら先生が、花の散るらんで、紀友則のお歌ですよね、と続けられて。私が、そうですと喜んだのも束の間。ちょっと遅いわね、とダメ出しされました」
 再び和やかな笑いが溢れた。

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