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美文を求めて、美文に怯える − ㉑

『好きな女に嫌われたくないから、好きな女に怯(おび)える』

 人によって、その受け取り方は様々だろう。私の場合、次に紹介する文章に打ちのめされてしまった。
 第140回直木賞受賞作、山本兼一による「利休にたずねよ」。その中の一文が私の胸をえぐり取ってくれた。しかも、甘美な激痛を伴って奈落の底に叩き落としてくれた。特に、最後の一言。

 以下は、私を奈落の底に叩き落としてくれた一部である。

(前略) 四人の僧が天目台に乗せた茶碗をささげてあらわれた。使者それぞれに拝跪(はいき)して差し出した。
 ゆっくり飲み干し家康が口を開いた。
「この天目茶碗は、どこの窯かな。健盞(けんさん)ではないようだ」
 中国福建の建窯(けんよう)で焼いた茶碗を健盞と呼ぶ。黒い飴色の釉薬に特徴があり、曜変(ようへん)、油滴など華やいだ趣の茶碗がよく知られている。天目山に留学した禅僧が持ち帰ったので、わが国では天目茶碗と呼ぶ。
「いえ、やはり福建の窯でございます。灰被(はいかぶり)ともうし、釉薬が落ち着いております」
 家康が飲んだ茶碗は、黒釉(こくゆう)にかさねて淡い黄色の釉薬がかけてあった。天目ながら、しっとりとして、えもいわれぬ侘(わ)びた風情がある。
「利休の好みか……」(後略)

 こんな文章を書けるように、研鑽をつんで……、私も直木賞を狙いたいものだ。後、何年かかるのかわからないけれども。
 冒頭の一文に戻ると、こうなる。
「いい文章に嫌われたくないあまりに、いい文章に怯えるようになる」
 と。本当はいい文章に会いたいのに、会うと書けない自分を目の当たりにさせられるのが怖くて、近づけない、という気持ち。まさに、美文は美人、そのもの。

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