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一椀 喉吃潤い…、お茶に毒されて行く精神

一椀、喉吃潤い
二椀孤悶を破る
三椀枯腸を探る 惟う文字五千巻有り
四椀軽汗を発す 平生不平の亊ことごとく 毛孔に向かって散ず
五椀肌骨清し
六椀仙霊に通ず
七椀吃っし得ざるに也

 最初の一杯は、喉の渇きを潤おす。二杯目は一人で悩んでいた心を癒やす。三杯目は腸を潤す。四杯目は、軽く発汗を促がす。五杯目は身体を清め、六杯目は仙人の境地に。七杯目は言葉が滑らかになる。
 とでも訳せるのだろうか。上記は岡倉天心の「茶の本」の一文である。茶の効能について書かれたものである。文章の字面だけを目で追っていると、マリファナかハッシッシかと勘違いしそうだから、お茶だから合法である。それくらいに、お茶は人を幸せにしてくれる、ということなのだろう。
 実際に抹茶を飲んでみて、それ程の境地には、到底至ることはできない。まだお酒なら、すべてあてはまってしまうだろうが。
 しかし、アルコールをもってしてもお茶には敵わない物がある。それは、一杯のお茶を出すためにしつらえられた茶室の、あのパーンと張り詰めはくた空気である。お点前が始まった瞬間から、一瞬にして招かれた客を、非日常の空間で包み込んでしまう。アルコールとは、全く反対のベクトルである。それが、また得も言われぬ心地良さをもたらしてくれる。
 段々と、ありきたりな茶道の紹介文になって来た。お茶に私も毒されて来たようだ。どうしたら、私らしい「お茶の表現」になるのか、見失ってしまっている。

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