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稀代の人間好きで人垂らしの秀吉が何故、利休に切腹を命じた?

 どうして秀吉は、利休に切腹を命じたのか。
 信長なら、いざ知らず。信長には明快な人間観がある。善は善、悪は悪。軽薄なゴマスリは醜悪。姑息なやつは、斬り捨て! 
 一方の秀吉は人垂らしで、稀代の人間好きである。そんな彼は悪人は悪人として、臆病者は臆病者として、人としてのおかしみを愛する人間である。その秀吉が、長年親しんできた利休に切腹を命じた。腑に落ちない。
 ある日、秀吉は茶釜を作りたいと思って、どんな形が良いか思案した。家臣にもアイデアを出させたが、良い案が出ない。そんな時、秀吉が利休を死に追いやっておきながら、ポツリと言う。
「こんな時に、利休がいてくれたなら」
 と、周囲に漏らす。そんな人間が一時の感情の昂りに任せて死地に追いやるとは思えない。どうしても、第三者の力が大きく働いたとしか思えない。
 一方の当の本人である利休も、理不尽な命令であると思いながらも、切腹の沙汰を受け入れる。その、やり場のない利休の憤りが辞世の句の冒頭に現れているのだろう。
「人生七十 力囲希咄〜」(じんせいななじゅう りきいきとつ〜)
「七十年間生きて来てこのざまか、なんてこったぁ〜(意訳です)」とでも解釈して良いだろう。辞世の句が、怒りから始まるなんて例は他に知らない。秀吉に切腹を命じられて、利休は弁明しなかったのだろうか。命令を受け入れて争う事を放棄した、と言う事なのか。と言うことは、利休の対抗勢力の方が力があり、秀吉の決断は覆すことは不可能だと判断したのだろうか。利休にそのように思わせた勢力は、その後、徳川家康に追い詰められることになる。
 私が小説を書いていなければ、「七十年間生きていれば、そう言うこともあるだろう」で終わってしまう、たかが小説の一節でしかない。この事は、私の人生に、それほど大きな影響を及ぼすとは思えない。
 しかし、「地に倒れた者は、地より立つ」である。考えようによっては、倒れた場所から移動すれば良いのだから、立ち上がらずとも匍匐前進(ほふくぜんしん)でも良いのではないか、と思うが。倒れた場所から離れないと。私の小説が前に進まない。
 なぜ利休は、秀吉の命令に抗おうとしなかったのか、理解できない。


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