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3年がかりの作品を応募。結果は重要だが、これも私の人生の一里塚……

 松本清張賞には毎回1600編の小説の応募があります。その中の1編に紛れ込みました。あとは、祈るのみ。

 投稿したことを誰かに告げたくて、心がざわついています。気にかけてくれている人がいるかと思うと、次への励みになります。それで可能な限り、周りに知らせてしまいました。

 2か月前から通っている茶道教室の先生は、「受賞の報告の電話は、このお茶室で、お弟子さんたちと待ちましょうよ」と言っていくださいました。  

 うーん、直木賞クラスの受賞なら、そうしたいけれど。松本清張賞クラスだと、マスコミは来ないでしょう。でも、先生のお気持ちは、ありがたくお受けしたいと思います。

 先生には、僕が茶道教室に通い始めた動機を話してあるので、僕のお稽古の日は、

「中級、上級の方の今日のお稽古は、信長時代の茶器を使ってお稽古しました。蜉蝣さん、ちゃんと見てましたか?」

 と毎回、『武将とお茶』というテーマのものを、私に気を使ってなんらかの形で見せてくれます。さらには、まだお点前はおろか、袱紗捌きも歩き方も、着物や袴のつけ方も何一つまともにできない私ですが、会話だけは褒めてくれます。

「蜉蝣さんは、見た目は大茶人ね」

 と、微笑みながら褒めてくれました。また、先生のアシスタントの方が、こんなことを言ってました。

「先生は大学で特別講義の枠を持っていて、『テーマが〝茶道と戦国武将〟の時が、いちばん熱が入る』とおっしゃってました」

 と。先生自身も私と同じようなテーマが好きなのだと思うと、好感が持てます。

 次の私のテーマは「長谷川等伯」ですが、等伯は、表千家の不審庵所蔵の千利休の肖像画を描いています。また、二人は交流もありました。千利休の押しもあって、豊臣秀吉から絵の依頼もあったり。長谷川等伯を調べることは千利休を調べることにもなり、利休を書くことにも繋がります。ますます茶道にハマって行くのは、目に見えています。

 脱稿までの行程は想像すると苦痛に思えますが、決してそんなことはありません。書き上げるまでの苦も楽も、私にとっては全て〝 喜び 〟です。

創作活動が円滑になるように、取材費をサポートしていただければ、幸いです。