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弟子にすら「しつらえ」と「おもてなし」を提供する先生に、心が震えた

「利休七則」と言われるものがある。茶道における「もてなし」と「しつらえ」を基本とする…

「ショート・ストーリー トキアンナイト」という800字ほどの物語を53編ほど、置いてあります。どうしてかと言うと、短い文章で完結してしまったから。だからと言って、捨てるわけにもいかず。短いものは集めて、短編集にしすれば良い。また、中篇、長篇を書くときのデータ、プロット、ワン・シーン等、使い道はいろいろある。小説はつまるところ、短篇の寄せ集め。そこに、一本の共通項を加えれば繋がって中編、長篇に発展していくと思って、私は書いた物が気に入ろうが入るまいが、残している。私は売れない小説を35年間、書き続けている。何が楽しいのかって、書いている自分が好きだし、楽しい。

 35年も「小説家志望です」と、言い続けている。20歳台は“口説き文句”として使えた。30歳台も、まあ、使えなくもなく “ ちょっと重み ” がました。40歳台は「諦観」として使え、ニヒルな中年になった。50歳台は「中年の夢」。60歳台は、「高尚な趣味ですね」と言われる。なかには「なんだ、こいつ!」と思う高齢の女性もいるが。「胡散臭い奴」と嫌悪感をあらわにする人もいる。

 他人がどう思おうとも、法に抵触しなくて他人に害を与えないなら、60歳台の「小説家志望です」は、いいと思う。書き続けることは、私のレーゾンデートル(仏: raison d'être)。(※フランス語の哲学用語、「存在意義」「存在理由」と訳)

 最近通い始めた茶道の先生は、初日「じゃあ受賞の日は、この茶室で、お弟子さんたちと受賞の電話を待ちましょうよ」と「小説家志望」という境遇を楽しんでくれ、励ましてもくれた。

 昨日のお稽古でも、時代小説を書いている私のために、茶室の隅に置いてある小さな二段の棚の説明をしてくれた。他に3人の綺麗な姉弟子がいるのに。

「蜻蛉さん、こちらへ」

 と、先生の脇を指さして、側に来るように指示された。そして、先生の隣に正座をすると、

「あれは“真台子”といって戦国の武将は、あの台でお茶を楽しんだのですよ。蜻蛉さんも、あれでお点前ができるように頑張りましょうね」

 と、わざわざ説明と励ましの言葉をかけてくれた。

 毎回、先生は私のために“戦国武将の茶道の世界”を準備してくれている。じわじわと先生の “ おもてなしの心 ” が伝わってくる。まさに、お弟子と言えども、“ お客 ” である。その弟子にすら「しつらえ」と「おもてなし」を、惜しげもなく提供してくれているのだと思うと、心が震えた。

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