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豆腐の角に頭をブツけて……

「65歳を過ぎて、何をトチ狂ってんだ!」
 と勤め先の所長には罵倒された。
「人の恋路を邪魔する奴は、豆腐の角に頭をブツけて死んじまえ!」
 と、お返しした。
「どうせ騙されて、むしり取られるのが関の山」 
 と、最初は否定的だった同年代が多い同僚たちは、今では静観してくれている。
 出入り先の会社の中年の男性社員の中には、
「この年になると、20代の恋愛のハラハラドキドキはもう味わえないのかと思うと、寂しくなるね」
 と、本音をポロリと漏らす。20代前半の独身女性からは、
「年齢なんて関係ないですよ。67歳と60歳のカップル、素敵だと思います」
 と激励してくれた。
 昨日は二人で根津美術館でデートして来た。展示室に入ると唐の時代の石仏達が迎えてくれた。自分の国の古い仏像ということもあって、彼女は熱心に仏像達に見入っていた。その先にはメインの展示である「甲冑と刀」の展示室。二人は付かず離れずしながら展示品を眺め、時折感想を交わした。そのあとは美術館の回遊式日本庭園を散策してまわった。彼女の日本語は完璧には程遠いが、彼女の日本の歴史の知識に驚かされた。庭の中にある茶室を見て彼女が一言。
「いい感じの茶室だけど、クーラーがないから夏は大変そう」
「確かに!」
 他愛もない冗談に、二人は笑みを交わす。
 そんな時、ふと15年前に他界した妻のことを思い出した。二人でつまらない冗談を交わしながら散歩した時のことが脳裏をかすめた。
 彼女は、
「夕方はヨガ教室の予定が入っている」
 と言うので、早目に彼女を自宅のそばまで送って行った。
 ひとつ、この日のデートで記憶に残った彼女の行動があった。
 美術館のカフェでのこと。二人でミートパイを頼んだ。ここでも前回のパエリアの時と同じように彼女のテーブルマナーに、私の目が止まった。わずかに残って散らかっていたミートパイのミートを、残っていた2cm四方のパイ生地に集めて、綺麗に食べ尽くした。小さな事だったが感動した。
 カフェを出ると彼女は「あまり甘くなくて、ちょうどいい味だった」
 と、ミートパイの感想を語っていた。
 車で彼女を自宅近くまで送り届けた時のこと。
車を止めて私はひと言漏らした。
「次は、どうしようか?」
「それって、仕事みたい」
 と、彼女が微笑んだ。その笑みに勇気付けられて、彼女の頬にキスをした。
(※ 写真と本文は関係ありません)

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