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寺へと続く坂道の脇にある大きな銀杏の木が、僕に電波を送り続けている

 長谷川等伯と言えば「松林図屏風」が、真っ先に頭に浮かぶ。

 僕にとって、この屏風の絵は、忘れてしまいたい故郷を否が応にも思いおこさせる。しかし、それは、ほろ苦くもあり、痛くもあり、甘美でもある。切り離そうとしても、どこかに一本の糸でもいいから残しておきたい、という気持ちを抱かせる。

 ぼくは、故郷が嫌いだ。でも、前田利家の両親の菩提寺である長齢寺へと続く坂道の脇にある大きな銀杏の木は、僕のことを呼び寄せようと、静かに僕に電波を送っている。父の面影も、そこに残っている。

「来いよ。わかってんだよ。お前のことを一番知ってるのは、俺だってことを。だから………」

 って、言っているのを、僕は無視している。無視し続けている。受け入れると、泣いてしまうのは、わかっているから。

 屏風は「下絵」だとも言われているが、そんなことは問題ではない。僕にとっては完成品だ。

 靄に包まれて見え隠れする松林の何気無い風情は、能登、そのものである。閑静で奥深い空間が、静かに伝わってくる。等伯は、能登にいた時からすでに絵仏師として評判は高かった。しかし、それでは満足できなかったのか、それとも、地元の政変が原因なのか、京都を目指す。

 どこまで彼に迫れるのか、全く自信がない。でも、書き上げたい。

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