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「静かな絵」から、前に進むには……–㉜

 長谷川等伯の小説を書きたくて、あれやこれやと彼の資料を当たっている。そんな時、等伯の言葉を記録した数少ない古文書に行き当たった。京都の法華宗の本山本法寺の十世、日通上人が書き記した「等伯画説」である。それをなんとか読み進めている。この古文書には等伯が絵の目標とした「静かな絵」に対する思いが、日通上人が聞いた等伯の言葉として記されている。

 辰卯月二十六日ニ堺宗恵来 是ノ梁階カ柳鳥ノ絵ヲ見セタレハ 嗚呼しつかな絵ニ御座有トほめたり一言ナレ共面白褒めやう也 此絵枯木ニ雪ノフリテ小鳥二ハかかみ居タル所也

 上記は1932年に発刊された「美術研究」という雑誌の抜粋である。
 安土桃山時代において、絵画に対して「静かな絵」という言葉を用いて評すること自体が珍しいことだったようだ。この表現が、等伯の絵心に大きな影響を及ぼした、とする説がある。その「絵に対する解釈」が、等伯をして「松林図屏風」を書かせしめ、「静かなる絵」として結実させるきっかけになった、と観ることができる。

 といった具合に色々と資料を当たって自分なりの等伯の解釈を元にして、「私の等伯像」を形成できて来た、と思った。しかし、小説も400字詰め原稿用紙で換算して70から80枚くらいの分量にまでなったところで、行き詰まりを感じている今日この頃。
 というのも、あまりにも雑多な資料を目にし過ぎて訳が分からなくなってしまっているのである。頭の中で整理がつかなくなって、折角できかけていたストーリーが再びバラバラになってしまって。雑多な資料を読み過ぎたおかげで枝葉末節に囚われてしまい、あちこちで思考が袋小路に入り込んで出るに出られず、前にも進めなくなっている個所があちこちで散見される状況に陥ってしまっている。
 こうなってしまうと今、目の前にある資料を全て閉じて、頭の中にあるものだけに神経を集中し、一度、自分の思っているままに書き上げるのが最善の策のようだ。
 思いついた方法を試してみる以外に、前に進む手立ては無い。
(※写真は「石川県七尾市のホームページ」より)

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