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あいみんことは 命なりけり……

「花月では、短歌も詠むんですよ」
 と、おっしょさんの売り文句に乗せられて、茶道のゲームの様な「花月体験」に参加した。
 参加の理由は、最近下がり気味の茶道へのモチベーションの維持と、新たな小説の糧になればと言う下心からであった。
 参加するにあたって「花月」をググってみた。結果は「七事式=花月、且座、回り炭、回り花、一二三、員茶」の一つてあることがわかった。しかし、短歌は出て来ない。
 一抹の不安を抱きながら、当日を、迎えた。
 最初、講師の方に花月を始めようと思った動機を聞かれ、素直に答えた。
「短歌も詠むんですよ、とおっしょさんが言っていたからです」
 すると返答は予想外なものだった。
「短歌が動機だと言う方は初めてです」
「最近、短歌や俳句にハマっていまして。例えば俳句でこういうのがあります」

 ほととぎす ほととぎすとて あけにけり

 と一句、紹介した。
 江戸時代の加賀千代女の歌である。つまらない歌だが、面白い。
 とりあえず「花月」を二巡ばかりやって、お稽古を終わった。
 気がつけば二時間あまりの時間が流れていた。
 最後に、しつこく聞いてみた。
「七事式の回り花では床の間に生けた花を題材に、短歌を読むんですか」
「そうですね。また、香を題材にしても詠みます」
「短冊に短歌を書くんですか」
「そうです。墨をすって筆で書きます。ですから、お道具も揃っているので教室でもやろうかと考えたのですが、みなさんが無理だと仰るものですから」
「そうですか。残念です。でもとりあえず、色々と試してみたいので花月を続けようと思います」
 しかし、なんとか花月のお稽古の中に短歌を取り入れてほしいと思い、駄目押しで講師の方に。
「趣味で小説を書いていて時代小説家の葉室麟先生に憧れているものですから」
「葉室麟先生ですか」
「命なりけり、という作品があって、作品の中に短歌が使われています」

 春ごとに 花のさかりはありなめど 
     あいみんことは いのちなりけり 
                詠み人知らず

 と、古今和歌集の一句を読み上げた。
 花月担当の講師の方も、心を動かされたようで、
「なんとか、考えてみようと思います」
 と短歌のコースを善処していただくことになった。
 確かに墨をすって筆で短冊に書いて、さらに自作の短歌を詠み上げるのは、なんともしちめんどくさい。だが、そこには、次の新しい世界が広がっていると思える。


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