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とかくこの世は、茶の湯三昧では生きにくい?

 言うまでもなく、栄耀栄華を極めた人は、山奥の閑居に庵をむすび、茶の湯三昧の生活が何にも変え難いものである、といいがちである。本当にそうなのだろうか。
 最近は、テレビのバラエティー番組で「ぽつんと一軒家」とかで、山奥であればあるほど、珍しがってテレビのクルーが取材撮影で押し掛けてくる。やはり、昔の人の言う格言の逆を行くのが、今の時代の閑居なのかもしれない。たとえば、都心のタワマンの最上階とか。滅多に人は尋ねてこないだろう。静かで、景色も空しか見えなくて。
 そこに、どんな満足を得ることができるだろうか。私はあれこれと考えるが、経験も所持金も少ないから、いいアイデアが浮かんでこない。
 やはり私は山奥の閑居を諦めて、学生でゴッタがえして、朝の駅前通りのあちこちに昨夜の乱痴気騒ぎのゲロが置き去りにされているような、人間臭い場所が合っているのかもしれない。そこでなければ私は、人間ドラマを描き続けるためのネタが、枯渇してしまうだろう。
 馬鹿で愚かで、それでいて素晴らしい人間たちを眺めて毎日、喜怒哀楽を貪り、それらを栄養源として命を繋いでいく。それ以上に素晴らしい生き方があるだろうか。いまのところ、思いつかないのだが。
 今から、茶の湯三昧の日々を送るための、茶道のお稽古に向かう。下北沢の安アパートでの茶の湯三昧の生活を夢想するために。
 ただ。これにも大きな障害がある。それは、「高齢者、お断り」であることが多いのだ。ふーっ。
 とかくこの世は、生きにくい?

創作活動が円滑になるように、取材費をサポートしていただければ、幸いです。