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鍵盤楽器音楽の歴史(1)ロバーツブリッジ写本

鍵盤楽器の歴史は紀元前3世紀にアレクサンドリアのクテシビオスの発明したヒュドラウリス(水オルガン)に遡ります。この楽器はローマ帝国時代に盛んに使用されましたが、残念ながらその音楽は残っていません。

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現存最古の鍵盤楽器のための音楽の楽譜は1360年頃のイングランドの『ロバーツブリッジ写本』 Robertsbridge Codex (GB-Lbl Add.28550) にあります。

とはいえ実際のところ、これはたった2葉4ページの断簡でしかありません。収録されているのは、3つの「エスタンピー」という舞曲(1つは断片)、3つのモテットの鍵盤用編曲(1つは断片)です。

https://www.diamm.ac.uk/sources/386/#/

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楽器の指定など何も書かれていないこれらが鍵盤用の音楽であるとわかるのは、ドイツ式オルガン・タブラチュアと呼ばれる鍵盤用の記譜法で記されているためです。

これは通常の五線譜の下にアルファベットで左手のパートを記すというもので、後にドイツで大いに発展したのでこの名がありますが、ドイツに起源を持つものなのかは不明です。

さらにエスタンピーはイタリアの舞曲で、編曲された2つのモテットの原曲は14世紀前半のフランスの『フォヴェール物語』Roman de Fauvel から、と国際色豊かな代物で、どこで作曲された音楽なのか判断を難しくしています。

2曲のエスタンピーは貴重な現存する中世舞曲として演奏される機会も多い人気曲です。

このエスタンピーの楽譜は1頁の3段目の途中から始まります。何となく読めるのではないでしょうか。

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モテットの編曲は原曲の上声部を細かい動きで装飾変奏するものです。最後の末尾の欠損した "Flos vernalis" は、そもそも原曲も断片しか存在しないため、どのような編曲が行われたのか不明な部分が大きかったのですが、最近新たな資料が発見されたことでより詳細な比較が可能になりました。

『ロバーツブリッジ写本』の音楽の演奏に必要な楽器の音域は c から e2 の2オクターヴと3度で、f から上は現在のピアノと同様に白鍵と黒鍵を備えた完全な半音階の鍵盤が要求されます。現存最古の鍵盤楽器音楽とはいえ、すでに楽器も演奏技術も相当に洗練された段階にあったと考えられます。チェンバロやクラヴィコードが歴史に登場するのはもう少し後のことなので、おそらくは小型のオルガンで演奏されたのでしょう。

意外なほど変化記号が多く黒鍵を多用するのは、ピタゴラス音律で調律された楽器で擬似的な純正三度音程を得るためだという説があります。ピタゴラス音律では長三度は約408セントで、純正音程の約386セントより大分広くきつい響きになりますが、エンハーモニック音程の減四度が約384セントとなり、約2セントというほぼ無視できる誤差で純正長三度を近似できます。

続いたら次は15世紀初期の鍵盤楽器音楽集である『ファエンツァ写本』について書いてみたいと思います。

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