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鍵盤楽器音楽の歴史(34)カプリッチョ

1615年に出版されたフレスコバルディの『リチェルカーレとカンツォーナ・フランチェーゼ集』は、おそらく彼の出版作品の中で最も商業的に成功したものです。1626年には1624年の『カプリッチョ集』と合本化された曲集が出版され、これは1642年になっても版を重ねています。

Recercari, et canzoni franzese fatte sopra diverse oblighi in partitura … libro primo (1615)

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Il primo libro di capricci canzon francese e recercari fatti sopra diversi soggetti et arie in partitura (1626)

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非常に厳格だった1608年の『ファンタジア集』に比べると、フレスコバルディのリチェルカーレは同種の対位法的作品ながら語感に反してファンタジアよりもむしろ自由で、和声も明晰で比較的聴きやすいものになっています。

彼のリチェルカーレは作曲上の超絶技巧を誇示する面があり、『リチェルカーレ 第8番』では順次進行を禁じるという「縛りプレイ」を披露しています。

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カンツォーナもまた模倣対位法による作品ですが、特徴的なリズムを持ち、リチェルカールに比べてより快活な性格です。彼は後に合奏曲の分野でも多彩なカンツォーナを作曲し、それらは「ソナタ」と呼ばれる曲種につながっていきます。

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この曲集が良く売れた理由の一つとして、鍵盤曲ながらオープンスコアの体裁をとっているため合奏でも演奏できたということがあります。

実際、この種の曲をチェンバロやオルガンの演奏で何曲も聴き続けるのは退屈であることが否めません。Amsterdam Loeki Stardust Quartet のリコーダー四重奏による演奏は純粋でありながら声楽のようにニュアンスが豊富で飽きさせないもので、これこそオルガン演奏が目指す理想の境地とも思われます。

l primo libro di capricci fatti sopra diversi soggetti et arie in partitura (1624)

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カプリッチョ Capriccio は「奇想曲」とも訳されますが、定義の難しい曲種です。むしろ型にはまらないというのがカプリッチョの特徴と言えるでしょう。

鍵盤楽曲としてのカプリッチョの元祖はジョヴァンニ・デ・マックの『レ・ファ・ミ・ソによるカプリッチョ』で、やはりナポリに由来するものです。これはトッカータ風の曲ですが、ナポリ派らしいアヴァンギャルドな作風で奇想曲と呼ぶに相応しいものです。

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フレスコバルディのカプリッチョは概ねリチェルカーレやカンツォーナと同様の対位法的な作品ですが、内容は様々で、ジャンルを超えた彼のポリフォニー鍵盤楽曲の精華を集めたものといえます。

そのタイトルが一際目を惹くのは Capriccio sopra il Chucho(カッコウによるカプリッチョ)です。これはカッコウの鳴き声を模した「レ-シ」という主題による曲で、以後度々作られる同種の作品の嚆矢となるものです。

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他愛ない戯作のようにも思えますが、ここでフレスコバルディは単純極まりない主題をリチェルカーレ風、カンツォーナ風、トッカータ風、舞曲風、など多様な文脈で展開し、その可能性を徹底的に追求しています。

Capriccio sopra la Bassa Fiamenga(フィアメンガのバスによるカプリッチョ)と Capriccio sopra la Spagnoletta(スパニョレッタによるカプリッチョ)は、どちらも当時よく知られた旋律による作品です。高度な対位法技術の粋を尽くしながらも音楽はあくまで親しみやすく、頻繁なリズムの変更も全く自然に行っており、彼の作曲技術の円熟が感じられます。

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Bassa Fiamenga は、ネーデルラントで "Bruynsmedelijn" (茶髪の娘)として知られていた旋律で、クローダン・ド・セルミジ (c. 1490 – 1562) の "Au joly bois"(素敵な森で)のサビの部分が初出です。

Spagnoletta は一種のフォリアです。フレスコバルディは原曲のリズムを殺して重厚に曲を開始しますが、畢竟これも荘厳ながら情熱的な作品となっています。

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Capricci Obligo di cantare la Quinta parte, senza toccarla, sempre di Obligio del Sogetto scritto. Si placet.(第5の声部を弾かずに歌う課題のカプリッチョ、望むならば、書かれた主題を常に課して)

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この曲では文字通り第5声部を「歌う」ことが要求されています。歌うべき旋律はテノールパートの冒頭に書かれた「ラドドシレドシラ」で、それを挿入すべきところが "re" で示されています。

何故 "re" なのか? それはヘクサコルドによるソルフェージュのためです。中世以来の伝統的なソルフェージュでは「シ」は用いられないため、「ラドドシレドシラ」はヘクサコルドを読み替えて「レファファミソファミレ」になります。

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ヘクサコルドにはナチュラル、ハード、ソフトの種類があります。ナチュラル・ヘクサコルドではDの高さでレと歌い、ハード・ヘクサコルドではAの高さでレと歌います。これらを挿入箇所に合わせて上手く選択しなくてはなりません。

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同じ手法の作品が彼の『音楽の花束』Fiori Musicali (1635) にも登場します。

Recercar con obligo di cantare la quinta parte senza toccarla

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『聖母のミサ』の1曲であるこのリチェルカーレは、同じように主題を示しながらも挿入箇所の指示がなく “Intendomi chi puo che m’intend’io”(わかる者はわかれ)とだけ書かれています。思わせぶりなこの指示はペトラルカのカンツォーネ第105番からの引用かもしれません。

I’die’ in guarda a san Pietro; or non piú, no:
intendami chi pò, ch’i’ m’intend’io.
Grave soma è un mal fio a mantenerlo:
quando posso mi spetro, et sol mi sto.

「弾かずに歌う」という指示からいえば、これらの第5パートは奏者自身が歌うのが本当でしょう。

次回はもう少し『音楽の花束』について。

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