ライプツィヒ、バッハ前夜、鍵盤のためのソナタ(鍵盤楽器音楽の歴史、第85回)
再びドイツのプロテスタント地域です。
中部ドイツの都市ライプツィヒは、ルター派プロテスタントの牙城であり、三十年戦争(1618-1648)では5度の包囲を経験し、甚大な被害を蒙りました。
Leipzig, 22 October 1632.
戦後どうにか復興してきた1680年には、ペストの流行により再び人口減、と災難が続きますが、にもかかわらずライプツィヒは国際商業都市として発展を遂げていきます。
ヨハン・クーナウ(1660-1722)は、ライプツィヒ大学で法律を学びつつ、1685年よりライプツィヒの聖トーマス教会のオルガニストを務め、1701年には音楽監督、いわゆるトーマスカントルに就任した人物で、つまりはヨハン・ゼバスティアン・バッハの前任者に当たります。トーマスカントルは、聖トーマス教会だけでなくライプツィヒの主要教会の音楽をすべて監督する重職でした。
Thomaskirche 1723.
ドイツ語による典礼カンタータをライプツィヒに導入したのは、さらにその前任のヨハン・シェレ(1648-1701)です。クーナウやバッハのカンタータもそのフォーマットを引き継いでいます。
しかし時は啓蒙の時代、優秀な若い人材は大学に流れ、バッハを悩ませた教会音楽家の質の低下はクーナウの時代にはすでに問題化していました。都市の音楽の中心が教会であった時代は終わろうとしていたのです。
ライプツィヒの学生による音楽団体コレギウム・ムジクムは、1702年に当時ライプツィヒ大学の学生であったゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)により創設されたものが有名ですが、クーナウも1688年に学生たちによるアンサンブルを始めています。ただしこちらはあくまで勉強会程度のものだったようです。
テレマンの組織したコレギウム・ムジクムは、オペラを上演するなど本格的な活動を行い、それに魅せられてさらに優秀な人材が集まったため、教会音楽のリソースを奪い、クーナウを憤慨させました。
この確執はバッハの代に持ち越されましたが、彼はむしろ音楽に無理解な教会当局に愛想を尽かして、コレギウム・ムジクムの方に協力的だったことはよく知られています。その活動拠点であり〈コーヒー・カンタータ〉BWV 211 のスポンサーであった、ツィンマーマンのコーヒーハウスは1720年頃から営業を始めます。
Collegium musicum in Jena 1744.
クーナウは全部で4巻のクラヴィーア曲集を出版しています。一方、彼のオルガン曲は写本でわずかに伝わるのみで出版はされていません。
《新クラヴィーア練習 Neuer Clavier-Übung》は第1巻が1689年、第2巻が1692年に出版されています。これは内容的には組曲 (Partien) 集で、第1巻は長調、第2巻は短調の、それぞれ7つの調による組曲が収録されており、各組曲は多少の変動はあれ、概ねプレリュードに始まりACSGの配列で舞曲が並ぶという、実に整然とした構成になっています。使用音域はC-c3の4オクターヴで、やはりクラヴィコードに適合。
Neuer Clavier-Übung, erster Theil (1689)
それぞれ第4組曲の1曲目はプレリュードの代わりに趣向を変えた曲となっています、シンメトリーを意識した結果でしょう。
第1巻の組曲ヘ長調の第1曲は〈ソナチナ〉と題されています。しかしながら白い音符が目立つ以外はごく当たり前のプレリュードであり、何をもってこれをソナチナとしているのか量りかねます。
何故こんなところで字の練習をする。
第2巻の組曲ヘ短調の第1曲は何と〈チャコーナ〉です。
しかしこのチャコーナ、どうみてもケルルの流れをくむ典型的なパッサカリアです。彼の作品にはパッサカリアと題した曲は見当たらず、パッヘルベルと同じくチャコーナで統一する流儀なのかもしれません。
第2巻は組曲の後に〈ソナタ〉変ロ長調 が収録されています。これはドイツで最初に出版された鍵盤ソナタです(第1巻のソナチナの方が早いですが、あれはどこがソナタなのやら)。
このソナタは緩急緩急の部分から構成されており、さらに最後にダ・カーポで最初の緩の部分が繰り返されます。これはいわゆる教会ソナタ Sonata da chiesa に範をとったものと考えられ、書法的にも概ねトリオ・ソナタを鍵盤に移したものといえます。
現存最古の鍵盤楽器独奏のためのソナタは、ナポリのジョアンピエトロ・デル・ブオノ(?-before 1657)が1641年に出版した曲集《Canoni, oblighi et sonate in varie maniere sopra l’Ave maris stella》に収録されている「アヴェ・マリス・ステラ」に基づく14のチェンバロのためのソナタです。
ただしこれらはオープンスコアで記された古様式のポリフォニックな作品で、後のソナタとはまるで異なります。
もっともコレッリなどのソナタも、ルーツはフレスコバルディのカンツォーナなどに求められ、それはさらにポリフォニックなシャンソンの器楽編曲に由来するものですが。
〈ソナタ 第7番〉ではエンハーモニック鍵盤を持つ Cimbalo cromatico が 要求されています。おそろしく前衛的な音楽に聴こえますが、しかしながらこの種の半音階主義は16世紀に流行したものであり、発表時期を考えるとむしろ超保守的というべきなのかもしれません。
https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/425575
時代を下って、アムステルダムのシブラント・ファン・ノールト(1659-1705)による1690年頃の作品に〈チェンバロ独奏のためのソナタ Sonata a Cimbalo solo〉があります。
しかし「チェンバロ・ソロ」と題しながら、不可解なことに低音部が数字付きの通奏低音として書かれており、通奏低音付きのソロ・ソナタの楽譜にしか見えません。これをチェンバロでまともに弾いたら、通奏低音だけで両手を消費してしまい独奏は不可能です。
しかし「チェンバロ・ソロ」というのが間違いでないのならば、左手だけで数字付き低音をなんとかリアライズしなければならないのでしょう。
同じくアムステルダム出身のボブ・ファン・アスペレンは、この曲を昔からレパートリーとしており、素晴らしい演奏を聴かせてくれます。
https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/501827
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