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鍵盤楽器音楽の歴史(9)16世紀イタリアの特殊鍵盤

ヴェネツィアから南西に50kmほど離れたフェラーラもまた16世紀の重要な芸術の都です。

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チプリアーノ・デ・ローレ (1516-1565) やルッツァスコ・ルッツァスキ (c. 1545-1607) といったフェラーラの音楽家たちが主に追求したのは、ヴェネツィアのような派手で祝祭的な音楽ではなく、より繊細で知的な、当時最先端の音楽であったマドリガーレでした。

また当時の音楽家達は古代ギリシャの音楽の復活という夢も追求していました。これは真の意味で音楽上のルネサンスといえるものでしょう。しかし当然ながら彼らは実際に古代ギリシャの楽譜などを知っていたわけではないので、大方は幻想を追いかけるものに過ぎませんでしたが。

ニコラ・ヴィチェンティーノ (1511-c.1576) も、そんなフェラーラの音楽家の一人で、彼は著書『今日の実践に応用される古代の音楽』(1555) においてディアトニカ、クロマティカ、エンハルモニカという古代ギリシャのテトラコルドの音律理論を検討し、その微分音を実現するべく1オクターヴに36のキーを持つ「アルキチェンバロ」Archicembalo という鍵盤楽器を創案しています。

Nicola Vicentino, "L'antica musica ridotta alla moderna prattica" (1555)

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ルッツァスコ・ルッツァスキは、このアルキチェンバロを見事に弾きこなしたといわれますが、そんな話が伝わるのも、このような楽器をまともに弾ける人がほとんどいなかったからでしょう。ちなみにルッツァスキは当時卓越したオルガニストとして有名でしたが、残念ながら彼の鍵盤音楽作品はほとんど残っていません。

時に1594年、ヴェノーザ公子カルロ・ジェズアルド (1566–1613) は最初の妻を殺害した後、レオノーラ・デステと再婚するためにフェラーラを訪れています。

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彼はルッツァスキをはじめとする当地の音楽家たちと親交を結び、彼の最初のマドリガーレ集もフェラーラで出版されています。おそらく当時ルッツァスキに師事していた11歳の少年、ジローラモ・フレスコバルディ (1583-1643) もそこに居ました。

ジェズアルドは基本的に声楽の人ですが、おそらく彼の作品と考えられる鍵盤曲に "Canzon franzese del Principe" があります。

https://ricercar.gesualdo-online.cesr.univ-tours.fr/items/show/6165

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この異様に半音階的な怪作は、もしかしたらアルキチェンバロによる演奏を意図したものか、あるいはアルキチェンバロの響きにインスパイアされたものかもしれません。

ジェズアルドの宮廷に仕えた音楽家にジョヴァンニ・デ・マック (1548/1550-1614) がいます。彼の "Durezze e ligature"(不協和音と掛留)や "Consonanze stravaganti" (奇妙な協和音) などの作品の甚だしい半音階主義は、あるいはジェズアルドの影響があったとも考えられます。

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とはいえジェズアルドの地元のナポリには、北イタリアとはまた違った音楽の伝統がありました。鍵盤音楽の領域では、アントニオ・ヴァレンテ (fl 1565-80) 、ロッコ・ロディオ (c. 1535- 1607) 、シピオーネ・ステッラ (1558-1622)、アスカニオ・マイオーネ (ca.1565-1627)、ジョヴァンニ・マリア・トラバーチ (c1575-1647)、等の名が挙げられます。彼らナポリ派の音楽は北部のものよりも過激な傾向があり、この中であればジェズアルドもさほど孤立した作風とはいえないかもしれません。

ジェズアルドがフェラーラに赴いた時かなりの数の音楽家を伴っていたことが知られており、彼らがフェラーラの音楽家に影響を与えたことも考えられます。フェラーラ出身でサン・ピエトロ大聖堂のオルガニストを務めたエルコーレ・パスクイーニ (ca. 1560-1608-19) や、その後継者であるフレスコバルディの作品からはナポリの作風が感じられます。

Ascanio Mayone, "Primo libro di diversi capricci per sonare" (1603)

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ヴェネツィアとは違ってトッカータですらオープンスコアで出してきます。

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マイオーネやトラバーチの作品には異名同音を弾き分けるためのエンハーモニック鍵盤を備えた「チェンバロ・クロマティコ」の使用が指定されているものがあります。

http://www.denzilwraight.com/roman.htm

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Ascanio Mayone, "Secondo libro di diversi capricci per sonare" (1609)

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Giovanni Maria Trabaci, "Il secondo libro de ricercate & altri varij capricci" (1615)

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トラバーチもマックと同じく "Durezze et ligature" や "Consonanze stravaganti" という作品を残していますが、これらも特殊な鍵盤の使用を意図した作品なのかもしれません。

Giovanni Maria Trabaci, "Ricercate, canzone francese, capricci, canti fermi, gagliarde, partite diverse, toccate, durezze e ligature, et un madrigale passagiato nel fine" (1603)

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ナポリの Durezze e ligature 形式は、その後フレスコバルディを経由してフローベルガーの聖体奉挙のためのトッカータにまで受け継がれることになります。

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次はそろそろイタリアを離れて16世紀イギリスに移ってみたいと思います。

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