爛熟のフランス古典オルガン音楽(鍵盤楽器音楽の歴史、第92回)
ニコラ・ド・グリニーが凄いのは確かですが、その作品はいささか歯ごたえがありすぎることは否めず、正直誰にでも薦められるというものではありません。
もっと気楽に聴けるオルガン曲はないのかといえば、実のところ同時代のフランスはそのような作品には事欠かないのです。クープランやグリニーの晦渋さはむしろ例外的といえるでしょう。
しかし現在それらの評価が芳しくないのは、どれも似たりよったりというマンネリズムが問題でしょうか。確かに専門家には面白くないでしょうが、一般の音楽愛好家にはどれをとっても粒ぞろいともいえます。
このフランス古典オルガン楽派の最盛期を支えた主な音楽家は以下のような人々です(生年順)。
Nicolas-Antoine Lebègue (1631–1702)
Guillaume-Gabriel Nivers (1632–1714)
Jean-Nicolas Geoffroy (1633–1694)
Jean-Henri d'Anglebert (1635–1691)
André Raison (c. 1640–1719)
Lambert Chaumont (c. 1645–1712)
Gilles Jullien (1650/53–1703)
Jacques Boyvin (c. 1650–1706)
Mathieu Lanes (1660–1725)
Pierre Dandrieu (c. 1660–1733)
François Couperin (1668–1733)
Charles Piroye (c. 1668/72– c. 1728/30)
Louis Marchand (1669–1732)
Gaspard Corrette (1671–before 1733)
Nicolas de Grigny (1672–1703)
Pierre Dumage (1674–1751)
Jean-Adam Guilain (c. 1675/80 –after 1739)
Louis-Nicolas Clérambault (1676–1749)
Jean-François Dandrieu (c. 1682–1738)
François d'Agincourt (1684–1758)
Louis-Antoine Dornel (1685–1765)
Christophe Moyreau (c. 1690– c. 1772)
Louis-Claude Daquin (1694–1772)
ダカン以降はまた世界が違ってきます。
彼らの出版物の題名は、判を押したように大抵は素っ気ない《オルガン曲集 Livre d'orgue》というもので、ドイツのように妙に凝った題名をつけることはしません。
それらの内容は、まずカトリック典礼用のオルガン・ミサ、「アヴェ・ステラ・マリス」や「パンジェ・リンガ」などの聖歌の定旋律による作品、また典礼上の指定を持たない、おそらくマニフィカトなどに使われたと考えられるオルガン組曲、そして民謡風の旋律に基づく変奏曲のノエルなどです。
オルガン・ミサにせよ組曲にせよ、その内容は概ね共通して「バス・ド・クロモルネ」や「ティエルス・アン・ターユ」など、世俗の器楽合奏や歌曲を模した作品が主体となっています。一方ドイツであれほど見られたパッサカリアやシャコンヌは皆無です。
アンドレ・レゾン (c. 1640–1719) の《オルガン曲集 第1巻》(1688) 収録の第2旋法のミサのクリステが〈パッサカーユのトリオ Trio en passacaille〉、第6旋法のクリステが〈シャコンヌのトリオ Trio en chaconne〉となっているのは極めて例外的なものです。
https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/393008
ちなみにバッハの〈パッサカリア〉BWV 582 のオスティナートバスは、前半はレゾンのパッサカーユ、後半はシャコンヌから取ったものという説が有力です。
レゾンの弟子であるルイ=ニコラ・クレランボー (1676–1749)の《オルガン曲集 第1巻》(c.1710) の表紙は、レゾンの名前のほうが目立つため誰の作品かわからないほど。
https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/318055
この曲集には2つの「組曲 Suite」が収録されており、これらはニヴェール以来のフランス古典オルガン音楽の洗練の極致を示すものです。
ちなみにこれが出版された頃、長命なニヴェールはまだ健在でした (1632–1714)。そしてニヴェールの死後にそのポスト(サン・シール及びサン・シュルピスのオルガニスト)を継いだのは、このクレランボーです。
クレランボーの〈第1旋法の組曲〉の第1曲〈グラン・プラン・ジュ〉では、最低音のパートをミサの定旋律のようにペダルのトランペットで弾くように指示があります。しかしこれは別に聖歌の旋律などではなく、単に形ばかりのものに過ぎません。
このようなやり方は堕落した形骸化と非難されるべきでしょうか。しかしこの荘厳なプレリュードは、典礼に先立ち聴衆に敬虔な気持ちを起こさせるという使命を果たすに十分なものと思われます。
第2曲の〈フーガ〉は、複雑な主題の上に、さらに過剰な装飾音が盛られており、こんなのでまともなフーガができるとは思えないのですが、認識を飽和させるフーガの性質とうまく相乗して奇跡的に深遠な音楽に仕上がっています。ドイツ人には思いも寄らないフランスならではのフーガの傑作と言えるでしょう。
第3曲〈デュオ〉、第4曲〈トリオ〉、これらもやはりポリフォニックな楽曲ですが、超越的なフーガとは異なり、より親密で室内楽的な趣となります。粗野ですらあったルイ・クープランやニヴェールの作例に比べ、より優美で歌唱的になっていますが、まだ軽薄には堕していません。
第5曲〈トランペットあるいはコルネのバスとドゥシュ〉。静かな伴奏上でリードストップの低音と高音が交代で現れ、最後は二重奏です。
旋律には例によって跳躍が目立ちますが、ルイ・クープランの頃の旋法的で歪な音形に比べると、より和声的で規則的なものになっています。
第6曲〈クロモルネとコルネのレシ〉、伴奏上にクロモルネとコルネがアリア風の旋律を交代で歌い、最後はペダルを伴奏としたトリオとなります。
これこそはフランスのオルガン音楽の真髄と言うべきもの。繊細な装飾音を翻すただひたすらに甘美な旋律は、もはや神々しさすら感じさせます。
終曲〈グラン・ジュによるダイアローグ〉。プラン・ジュで始まった組曲はグラン・ジュで締めくくられます。
主鍵盤およびペダルのグラン・ジュと、レシ鍵盤のコルネ+ポジティフのクロモルネのパートが交代で現れ、フランスのオルガンの優れて多様なリードストップの魅力が存分に発揮されます。
CDでクレランボーとカップリングされていることの多いのがピエール・デュマージュ (1674–1751) です。両者は同世代のフランスのオルガニストというだけで、関係は乏しいですが作風はよく似ています。
デュマージュはエーヌ県のサン・カンタン聖堂やラン大聖堂のオルガニストを務めましたが、1719年以降は役人になり、音楽活動からは退いています。
オルガン曲以外にもカンタータなど多くの作品を残したクレランボーに対し、現存するデュマージュの作品はサン・カンタン聖堂のオルガニストであった頃に出版した《オルガン曲集 第1巻》(1708) だけです。
https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/412120
これに収録されているのは〈第1旋法の組曲〉1つだけですが、非常に完成度は高く、ただこの1作のみで彼をフランス古典オルガン音楽の代表的作曲家の列に加えるに十分なものです。彼が後半生に音楽を辞めてしまったことが惜しまれます。
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