ラモー後編、その1:親指とサイクロプス(鍵盤楽器音楽の歴史、第136回)
『和声論』(1722) の成功によって、音楽学者としてそれなりに知られるようになったラモーは、1724年に2冊めのクラヴサン曲集『クラヴサン曲集 指使いのメソッド付き Pieces de clavessin avec une methode pour la mechanique des doigts』を出版します。
ダンドリューの場合と同じく、前のクラヴサン曲集『クラヴサン曲集 第1巻 Premier livre de pieces de clavecin』(1706) については無かったことにされています。それも後に再版しますけど。
これには題名の通り、クラヴサンの演奏法についての小論がついています。たった4ページと短いながらも、なかなか実践的なアドバイスが書かれており、下手するとクープランの『クラヴサン奏法』を全部読むより役に立つかもしれません。
クープランの場合、「正しい高さに腰掛けた場合、肘、手首、指が同じ高さにあるべきです」としていたので、少し流儀が違います。
「関節の柔軟性が大事」とか「指は鍵盤になるべく近づけて弾く」といった基本的な心がけはクープランとだいたい同じです。
本文の後に付属資料として、装飾音表と共に、バッテリー(分散和音)の例と、単純な音階による「はじめのレッスン」、練習曲《メヌエットとロンドー》が運指付きで載っています(ただし左手の「レッスン」の運指は誤り)。
これらの運指は親指を積極的に使用している点でクープランとは明らかに異なります。鍵盤奏法の新たな時代の始まりです。
ちなみにクープランの場合はこんなでした。これが伝統的なクラヴサンの指使いですが、現代のピアノ奏法を習い覚えた人には実に奇怪に見えるでしょう。しかしラモーの作品の場合は現代的な運指をそのまま適用しても良いようです。
さて目次です。収録曲は例によってクープラン風のキャラクターピースが主体になっていますが、最初はアルマンドとクーラントで始めている辺り、まだ過去を捨てきれていない感じがあります。
ラモーのクラヴサン曲は、明解な構造と直接的な表現が特徴です。シャンボニエール以来のフランスのクラヴサン弾きたちは、クラヴサンというデジタルな楽器を用いながら、リュートの様に淡く曖昧な響きを創り出すという倒錯した芸術を育んできたのですが、ラモーの作品からはもはやリュートの残響を聴くことは困難です。もっとも、彼がその伝統に通じていないわけではないことは、以前のクラヴサン曲集のプレリュードが証明していますが。
耽美的な《優しい嘆き Les Tendres Plaintes》もテクスチュアはいかにも貧弱で、充実した響きを得るには装飾音は無論のこと、まずは響きの豊かな18世紀フランス式の楽器が要求されます。
ジャン・ロンドーが弾いているのはアサス城の作者不明の緑のクラヴサン、かつてスコット・ロスが愛用していた楽器です。
クープラン流の装飾音であるところのシュスパンシオンの使用が見られる《ためいき Les Soupirs》は、ラモーにして最もクープラン的な作品といえますが、それにしてもやはり響きの層が薄く、繊細さや複雑さでクープランには及びません。
つまるところラモーはクープランではないわけで、彼はより率直で合理的な、新しい時代にマッチした音楽を提供しています。畢竟それは堕落の始まりでもあるわけですが。
《つむじ風 Les Tourbillons》は何の象徴でも隠喩でもなく、即物的な旋風の描写以外の何物でもありません。両手交差を駆使した華麗な走句は、耳で聴くだけでなく目をも愉しませるでしょう。
《サイクロプス Les Cyclopes》。以前にゲオルク・ムッファトの《新サイクロプス式ハーモニー》の紹介で述べたように、この有名な一つ目巨人はヘーパイストスの眷属で鍛冶を行う存在です。
このラモーの名人芸的な作品からも鍛冶のハンマーの音をはっきりと聴き取ることができるでしょう。右手を跨いで左手で上下の音を交互に打つトリッキーな技巧が目を惹きます。
ジュスタン・テイラーもやはりアサス城のクラヴサンでラモーを弾いています。
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