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鍵盤楽器音楽の歴史(37)17世紀イタリア

17世紀のイタリア音楽の中心的ジャンルはやはりオペラであり、鍵盤音楽は残念ながらあまり重要な地位にはありませんでした。鍵盤楽曲を比較的多く残している作曲家も、大抵はその業績全体から見れば鍵盤音楽は二義的なものであり、鍵盤音楽に集中して多くの作品を残したフレスコバルディは例外的な存在と言えるでしょう。

フレスコバルディとおなじくローマで活動したミケランジェロ・ロッシ (1601/2 - 1656) はヴァイオリニストとして知られ、作曲家としてはオペラやマドリガルを中心とした作品を残していますが、鍵盤のための『トッカータとコレンテ集』も出版しています。これには3種類の版が現存していますが、初版はおそらく1630年代と考えられています。

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トッカータはフレスコバルディに非常に近い作風を示し、フーガ的なセクションを挟んだりするあたりはメールロ風でもありますが、それらよりも規模はやや小さめです。

注目は過激な半音階進行が見られることで、この点ではフレスコバルディをも凌ぐものがあります。特にトッカータ第7番の終盤の半音階の嵐は有名です。

というより現在はこの1曲以外はほとんど演奏されることがありません。

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ベルナルド・ストラーチェは1664年に出版された鍵盤曲集以外にはほとんど情報のない謎の人ですが、この曲集は大規模なパッサカリアをいくつも収録していることで特筆に値します。

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ストラーチェのパッサカリアにはフレスコバルディの影響が顕著ですが、ずっとシンプルで和声的であり、対位法的な晦渋さを省略し合理化した感じです。これを淡々と楽譜をなぞるように弾くと、どうにも単調で退屈なものになってしまうのですが、優れた奏者を得ればフレスコバルディに劣らぬ力強い音楽が現出します。

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ボブ・ファン・アスペレンによるイ短調のパッサカリアの録音が白熱の名演です。楽器はスコヴロネックのドゥルケン。有名なグスタフ・レオンハルトの愛器ですが、これをレオンハルト以外の人が弾いているのは珍しいです。残念ながらあまり音質は良くないのですが、それでもこの楽器の冷たくダイナミックというアンビバレントな凄みは強烈です。

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ナポリでは、ジョヴァンニ・サルヴァトーレ (c.1620 - c.1688) やグレゴリオ・ストロッツィ (c.1615 - after 1687) らがマイオーネやトラバーチに連なるナポリ派の鍵盤音楽の系譜を継いでいます。この人達は相変わらず鍵盤曲をオープンスコア形式の楽譜で出版していました。

Giovanni Salvatore: Ricercari a 4 voci (1641)

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1687年に出版されたストロッツィの『カプリッチョ集』は、題に反して様々な鍵盤楽曲を収録していますが、その内容は既にドメニコ・スカルラッティが誕生しているという出版時期を考えると、おそろしく古風です。

ヘクサコルドによるカプリッチョ、ロマネスカによるパルティータといった16世紀以来の定番レパートリーはこれを最後に姿を消します。曲集の最後を飾る「パッサカリアのトッカータ」はフレスコバルディの遺風を受け継ぐ大作としてストラーチェのパッサカリアと共に注目に値します。

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一方で新たな曲種として「ソナタ」が加わっていますが「不適切にもカンツォーナ・フランチェーゼと呼ばれている」と但し書きがついているように、内容的にはカンツォーナに異なりません。何が「不適切」なのか、おそらくはカンツォーナがフランスのシャンソンとはもはや無関係なジャンルになっていることを指しているのではないでしょうか。

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ソナタという用語自体は、特定の形式とは関係なく器楽を意味するものとして16世紀にも使用例が見られますが、17世紀には主にカンツォーナと関係づけられるようになりました。

アルカンジェロ・コレッリ (1653 - 1713) によって完成されるソロやトリオのためのソナタも、元を辿ればフレスコバルディの通奏低音付きカンツォーナなどに源流が求められます。

コレッリの時代、中期バロックのイタリアを代表する鍵盤音楽家はベルナルド・パスクィーニ (1637 - 1710) です。彼の鍵盤奏者としての名声は、コレッリのヴァイオリニストとしてのそれに匹敵するものでした。ちなみに2人は同じくローマの音楽家であり度々共演も行っています。しかしながらパスクィーニの鍵盤作品で出版されたものはごくわずかで、多くは1691年から1705頃に編纂された自筆の手稿によって伝わっています。

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パスクィーニの音楽には初期バロックのグロテスクな過激さはもはや無く、コレッリと同じく明確な調性と旋律美を特徴とする優美な作風です。

現存するパスクィーニの鍵盤作品はリチェルカーレやカプリッチョなどの対位法的楽曲、大小様々なトッカータ(タスタータ)、フォリアやパッサカリアによるパルティータ、大量の短いヴァーセットなど多岐にわたりますが、中でも新しい時代の鍵盤音楽を象徴するのが舞曲による組曲です。

パスクィーニの組曲の構成は一定していませんが、同じ調によるアルマンド、コレンテ、ジーグという組み合わせが最も一般的です。サラバンドは全く見られません。あまり見慣れない Bizzarria というのはイタリアの舞曲です。

John Collins, 2010.

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BL Add MS 31501 f. 2r.

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このような舞曲組曲はフランスのリュートやクラヴサン音楽のものが有名ですが、パスクィーニの組曲はフランスの影響というよりはイタリアの合奏による組曲 (Sonata da camera) に範をとったものと考えられます。

鍵盤音楽の分野ではフレスコバルディの『トッカータ集 第1巻』改訂版に含まれるバレット、コレンテ、パッサカリアといった「組曲」が前例としてあります。Balletto はイタリア語で舞曲を指す用語ですが、一般的には Balletto todesco 「ドイツの踊り」つまりアルマンドに相当するものです。フレスコバルディの組曲ではバレットとコレンテで動機を統一しているのが見られます。

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パスクィーニのトッカータではフレスコバルディのような落ち着きのない極端な表現主義は影を潜め、代わって均一で拍節的な動きが目立ちます。これはアレッサンドロ・スカルラッティ (1660 - 1725) のトッカータでも顕著ですが、このような無窮動性は鍵盤音楽だけでなく後期バロック音楽の全体的傾向となるものです。

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パスクィーニの最も独特な作品は、数字付き低音のみで書かれた28曲の「ソナタ」です。要するに通奏低音が独立したような作品ですが、内14曲は2台の楽器のための作品で、数字付き低音だけが二つ並んでいる様は実に奇妙です。

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リアライズ例

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フレスコバルディとドメニコ・スカルラッティの間の時代のイタリア鍵盤音楽は現代でもはっきりいってマイナーな存在で、パスクィーニですら録音は乏しいという非常に残念な状況が続いています。初期バロックより親しみやすく、後期バロックほど軽薄でないという絶妙な時期であり、魅力的な音楽は少なくありません。今後に期待です。


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