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鍵盤楽器音楽の歴史(68)北ドイツのオルガン

17世紀のドイツの音楽事情は、三十年戦争 (1618–1648) によってどう控え目にみても厳しい状況にあったと言わざるを得ません。出版業も著しく衰退したため、印刷された楽譜は乏しく、名だたる巨匠の作品といえど写本の形でしか存在しないものがほとんどです。

そして鍵盤音楽の場合、それらは例によって新ドイツ・オルガンタブラチュアで書かれているので、まことに厄介です。

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Heinrich Scheidemann〈Englische Mascarada oder Judentanz〉WV 108 (Manuscript bound in with Gabriel Voigtländer, Allerhand Oden vnnd Lieder, 1642)

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https://imslp.org/wiki/Englische_Mascarada_oder_Judentanz%2C_WV_108_(Scheidemann%2C_Heinrich)

三十年戦争によってドイツでは人口の2/3が失われたといわれますが、もちろん全土が一様に灰燼に帰したというわけではなく、かなりの地域差があります。下の地図で明るい色の所は比較的被害の少ない所です。中でも北ドイツのハンザ同盟都市ハンブルクは軍需物資の取引によって戦争にも関わらず経済的な繁栄を保っていました。

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Damages in population after Thirty Years War

当時のドイツの状況は混乱の極みと言っていいですが、大雑把に言って北部がプロテスタント、南部がカトリックであり、ハンブルクはルター派の新教徒の都市です。

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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:HRR_1648.png

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Stadtansicht Hamburg, Elias Galli, c.1680

スヴェーリンクの生徒たちがハンブルクの主要教会のオルガニストのポストを独占したため、彼が「ハンブルクのオルガニスト製造家」と呼ばれたことは前に紹介しました。これは具体的には、ハンブルクの聖ペテロ教会がヤーコプ・プレトリウス (1586–1651)、その弟のヨハネス・プレトリウス (c.1595–1660) は聖ニコライ教会、聖ヤコビ教会はウルリッヒ・チェルニッツ (1598–1654)、そして聖カタリーナ教会はハインリヒ・シャイデマン (1596–1663) が、それぞれオルガニストに就任しています。彼らは全員スヴェーリンクのもとで学んでおり、また彼らも教師となって多くのオルガニストを育てました。これがいわゆる北ドイツ・オルガン楽派です。

彼らが演奏したオルガンはどのようなものだったのでしょうか。ミヒャエル・プレトリウスが著書《オルガノグラフィア》(1619) にハンブルクの聖ヤコビ教会のオルガンの当時の仕様を記していますので見てみましょう。

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Kirchen zu S. Jacobi, von Heinrich Volckmeir 1675

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Michael Praetorius, "De Organographia"《Syntagma Musicum II》1619, pp. 168-9.

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https://en.wikipedia.org/wiki/Schnitger_organ_(Hamburg)

イタリア、フランス、スペイン、イギリス、と様々なオルガンを見てきましたが、ドイツのオルガンは明らかに世界が違います。ペダルがあれば重畳という時代に、このオルガンはペダルだけで14もストップがあります、何考えてるんでしょう。この頃のドイツのオルガンの水準は他地域に対して200年ほど先行しています。

このような怪物的なオルガンをさらに磨き上げ、北ドイツ・バロックオルガンのスタイルを完成したのが、伝説的なオルガン建造家アルプ・シュニットガー (1648–1719) です。

聖ヤコビ教会のオルガンはシュニットガーにより1689年から1693年にかけて大幅な改修が行われ、既存のストップ27を残しつつ多くのパイプを新造し、総ストップ数60のオルガンとして生まれ変わっています。

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Johann Mattheson, “Anhang” to 2nd edition of Friederich Erhard Niedt, Musikalische Handleitung, 1721, pp.175–6.

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https://en.wikipedia.org/wiki/Schnitger_organ_(Hamburg)

1720年にはJ.S.バッハがこの聖ヤコビ教会のオルガニストに応募していますが、高額の寄付金を拒んだためか不採用となっています。このとき当時の聖ヤコビ教会の牧師であったエルトマン・ノイマイスターが残した有名な言葉が「もし天使の一人が聖ヤコビ教会のオルガニストになることを望んで、天から舞い降り、神々しく演奏したとしても、このベツレヘムの天使が金を持っていなければ再び飛び去るしかなかろう」というものですが、どうもこのとき聖ヤコビ教会のオルガンは不調だったらしく、バッハがハンブルクで演奏したのは聖カタリーナ教会のオルガンで、このオルガンでは演奏していないようです。

その後20世紀にバロック時代のオルガンの復権を唱えるドイツ・オルガン運動が起こると、このオルガンはシュニットガーの代表作にしてバロックオルガンのモデル楽器と見做されるようになり、オルガン製作に多大な影響を及ぼします。

第二次世界大戦中に聖ヤコビ教会は焼失しましたが、オルガンのパイプや風箱は取り外して避難していたため残りました。1961年に新しい教会堂の中廊のギャラリーにオルガンが再建されましたが、その修復は歴史的観点からは不満の残るものでした。現在はシュニットガーから300年後の1989年から1993年にかけて行われた徹底した再修復により、1762年当時の状態に復元されています。

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https://www.arpschnitger.nl/shamb.html

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https://en.wikipedia.org/wiki/File:St._Jakobi_Hamburg_Arp-Schnitger-Orgel.jpg

下は1990年、旧復元状態の映像。

北ドイツのオルガンの典型的な構成は「ハンブルク・プロスペクト」として知られています。これは中心に主オルガンであるハウプトヴェルク Hauptwerk、両脇にペダルヴェルク Pedalwerk がそびえ立ち、手前、オルガニストからすれば背後にリュックポジティフ Rückpositiv 、そして Hauptwerk の上部と下部のオーバーヴェルク Oberwerk とブルストヴェルク Brustwerk という構造的に独立した5つのヴェルク(ディヴィジョン)で構成されます。(ただし聖ヤコビ教会のオルガンのオーバーヴェルクはハウプトヴェルクの後ろにあって正面からは見えない)

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https://de.wikipedia.org/wiki/Datei:Werkaufbau.png

これらのヴェルクは内容的にも独立性が高く、それぞれがプリンシパルからミクスチュアに至るストップを完備しています。聖ヤコビ教会のオルガンは、ハウプトヴェルクが16フィート、ペダルが32フィート、ポジティフが8フィートを基準とする完結したオルガンになっており、より小規模なオルガンの場合はピッチ基準がそれぞれ1オクターヴ上がります。

ドイツのオルガンの運用については不明な点が多いのですが、17世紀の地点ではプリンシパル系の「男性的」ストップと、フルート系の「女性的」ストップの混和が避けられるなど多くの慣習的な制限があったようで、膨大なストップがあっても同時に多くは使用せず、シンプルなレジストレーションが用いられていたと考えるのが、送風能力の点からいっても妥当です。

シュニットガーのオルガンは、力強い低音に華麗なミクスチュア、フルー管ともよく混和する質の高いリード、多様なフルート・ストップ、何より洗練された発音と、基音と倍音の調和の取れた素晴らしい音質によってバロックオルガンの最高峰と見做されています。

しかしシュニットガーだけがあればいいというわけでもなく、例えばフランスの古典オルガンなどはペダルに32フィートどころか8フィートしかないですし、ミクスチュアにシュニットガーのような輝きはありませんが、それでもフランスのオルガン曲を最もよく演奏できるのはフランスのオルガンに違いないでしょう。

確かにシュニットガーのオルガンは北ドイツのバロック音楽や、ひいてはJ.S.バッハの作品の演奏に理想的な楽器ではありますが、ヨーロッパのオルガン全体から見るとかなり特殊な例であることも忘れてはいけません。

20世紀に量産されたネオ・バロックオルガンは、シュニットガーのデザインに改良を加え、万能のオルガンを作ることを目指したものでしたが、今やモダンチェンバロと同じく黒歴史楽器と化しています。ただチェンバロとは違うのは簡単には取り替えられないことで、なおも各所で現役です。


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