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ランスの大聖堂、夭折の天才、ニコラ・ド・グリニー(鍵盤楽器音楽の歴史、第91回)

フランソワ・クープランのオルガン曲が凡作というなら、傑作は誰のものなのかといえば、その栄誉はニコラ・ド・グリニー(1672-1703)に与えられるというのが凡そ衆目の一致するところです。

グリニーはクープランより4才年下で、1672年にランスに生まれました。1693年から1695年まではパリのサン・ドニ修道院のオルガニストを務め、その頃ルベーグに師事したものと考えられています。1696年に彼はランスに戻り、有名なノートルダム大聖堂のオルガニストに就任します。

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https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b9061149v/f72.item.r=

1699年にグリニーは《オルガン曲集 第1巻 Premier livre d’orgue》を出版しました。しかし惜しいことに、早くも1703年11月30日に彼は31歳で亡くなっています。彼の現存作品は、ただこの1冊に収録されているものに限られます。

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https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b9009940q

グリニーのオルガン曲集は、オルガン・ミサが一揃いと、幾つかの聖歌に基づく作品を収録しています。

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グリニーのオルガン・ミサは、クープランの《教区のミサ》と同じく第4ミサに対応するもので、構成も非常によく似ています。

時期的にグリニーがクープランのミサを参考にしたとしてもおかしくはありませんが、単に同じレギュレーションに従って、同じような先例に倣ったというまでのことでしょう。もっともこの時期これだけ真面目にミサをやっているオルガン作品は珍しいのですが。

やはりミサの各章は聖歌の旋律を定旋律とした曲で始まります。このキリエの第1曲〈Premier Kyrie en taille à 5〉はクープランのものと同じくペダルに定旋律を置いていますが、クープランが4声であったのに対し、グリニーは5声となっています。

またクープランは静的でひたすら重々しい音響に終始していたのに対し、グリニーの両手は華麗に動きまわります。しかし定旋律が重しになっていることもあって、あくまで荘厳にして絢爛豪華、まさしくバロック的な美学を体現するものです。

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第2曲は例によって〈フーガ Fugue à 5 qui renferme le chant du Kyrie〉で、やはり聖歌を主題にしていますが、これもクープランが4声であったのに対しグリニーは5声となっています。

グリニーのペダルパートはフランスの古典オルガン曲では異例の高度な演奏技術を要求されます。そして上声部はフーガでありながらも常に過剰なまでの装飾に彩られているのは、これはまさしくフランス流。しかしグリニーの対位法の手腕はクープランやフランスの同輩を遥かに凌いでおり、最後までぐだぐだにならずに全体をしっかりと構成しています。これは実にフランスのフーガでは稀なことです。

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キリエ第3曲は〈2声のクロモルネ・アン・ターユ Cromorne en taille à 2 parties〉、つまりペダルと右手の伴奏にのせて、左手だけでクロモルネのデュエットを弾くというものです。師ルベーグの好んだ形式を順当に発展させたもので、グリニーの後ではルベーグのクロモルネ・アン・ターユは何か未完成であるような感すら覚えます。

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Nicolas Lebègue, Les pièces d'orgue,1676.

キリエの終わりは〈グラン・ジュによるダイアローグ Dialogue sur les Grands jeux〉。ここでグリニーはクープランと違って聖歌の定旋律を用いていません。『パリ典礼書』の規定ではキリエの終わりも聖歌の旋律を使わなければならないことになっているのですが、ルベーグも含め音楽家は大概守ってはいません。クープランにしても全部の規定を遵守しているわけではないです。

これは基本的に音量音色の対比を主体としたホモフォニックな曲なのですが、模倣が多用されフーガのような応答が印象的です。グリニーは同時代のフランス人としては異例なまでに対位法に傾倒しており、たとえフーガと題さない曲でもフーガ的な趣向が随所に現れます。

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集中の白眉となるのは〈グラン・ジュによる奉献唱 Offertoire sur les Grand Jeux〉。このフランス古典オルガンの性能をフルに駆使した大作は、音によるゴシックの大伽藍といえるもの。終盤に聴かれる絶え間ない応答の繰り返しに蒼穹を埋め尽くす天使の群れが幻視されます。

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ニヴェールやルベーグらの先人が、旧来の対位法に凝り固まったオルガン音楽を脱却し、クラヴサン音楽や歌劇などの世俗的な音楽語法を取り入れた華やかなフランス古典オルガン音楽の世界を作り上げたところに、グリニーは再び対位法的な発展を試みました。二度手間ですね。

しかしそれ故にグリニーは、フランス音楽の精華たる官能的な美を備えながら、感覚的な領域を超えた聖なるものへと到達することに成功し、オルガンという楽器にこそ相応しい玄妙な音楽を創り上げています。

とはいえグリニーの対位法への傾倒は全く時流に逆らったものであり、その後を継ぐ者はなく、彼の音楽はフランス古典オルガン音楽において孤高の地位を占めています。

グリニーのミサの録音としてはベルナール・クデュリエ盤を推薦します。トラック分けが大雑把なので研究には向きませんが、宗教的情熱の感じられる名演です。1991年録音、楽器は南仏サンタガベルの歴史的オルガン。

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ところで時代外れの対位法主義者といえばバッハが思い浮かびますが、そのバッハは若い頃この曲集を丸々手写しています。お気に召したのでしょう。

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http://sammlungen.ub.uni-frankfurt.de/musikhs/content/titleinfo/4730749


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