10日目:「推し活」ってなんなん?
(53分あたりから)「ずっと推していた配信者の配信スタイルが変わってしまい、追うのがつらい。見られる配信だけ見て推し活を続けるか、推し活をやめてしまうか迷っている」というようなおたよりが来ているのを見て、ちょっと考えてしまいました。(おたより原文はとても丁寧に状況を書いてくださっているので、配信見たほうがわかりやすいと思います)
たぶん「推し活をやめてしまおうか」って思うということは、少なからずその配信者さんの態度に傷つかれたんだろうなと思います。見られる配信だけ見ていても、以前のような熱量で「推し活」できているとは自分でも思えない。だからもう全部やめてしまおうか、と思い詰めてしまっているのかな、と。
でもさ〜〜〜「推し活」ってなんなん?????
個人的に「推し活しよう!」って行動する、って「オタクになろう!」と思って行動するのと同じくらい違和感あります。
オタクは好きなものがあって、それについて掘り下げて考えたり、自分でも創作をしたりすることを楽しむ人です。「オタクになるために履修すべき10の作品」とかありません。行動の結果「オタク」と呼ばれるだけで、その肩書きは結果でしかありません。
同じように、「推し」がいて、その人を応援したいとか、見ていて楽しいから配信を見たり、ほしいと思ってグッズを買ったりする行動の結果が「推し活」と呼ばれるだけで「推し活しよう」と思って推しを探すみたいなのは本末転倒です。
配信中でも「何かを好きであることってもっとグラデーションだと思う」とおっしゃっていましたが、「推し活とはこうであるべき」という形を自分に課して、推しなのだから配信は全部見ていなければとか、たくさんスパチャを投げなければとか、それで自分が楽しめなくなったら意味ないじゃん!
なんであれ自分が楽しめることを優先したほうがいいです。推しは人生に責任は持ってくれませんし、自分の人生のケツは自分で持つしかありません。
配信者さんが言う「見たい配信だけ見ればいい」というのも、それだけ見れば至極まっとうな言葉です(ただし、この場合そのとおりに行動するとその配信者さんの配信はほとんど見られなくなってしまうことを踏まえると、ちょっと無責任だなとは思います)。
無理して推すくらいなら推すな!でも「もう推すのはやめた」って決めてしまうのもちょっと極端!!
自分が楽しめる範囲でたまに見る、くらいで全然いいと思います。それを「推し活はやめた」ととらえる必要もないし、「前より推せていない」と負い目に思う必要もない。配信者とリスナーの距離感って本来流動的なもので「いまハマってるからたくさん見る」「最近はそんなに見てないけど、好きだしたまに見る」とかいろいろな幅があるはずです。
スナック感覚でいろんな配信つまみぐいしてもいいし、その中で「いいな」と思える人がいたら配信を追ってみるとか、アーカイブを見てみるとか、そういうのが本来の「リスナー」のありかたなんではないでしょうか。
「推し活で人生が楽しくなる」は真かもしれません。でも「推し活をしていないと人生が楽しくない」は偽です。
あなたの人生を楽しくするのはあなた自身であって、推しの存在ではありません。
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