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叶わない楽しさ 〜長島有里枝

 春、それは新生活が始まる時でもあります。そんな新生活に寄せて、写真家長島有里枝さんが2020年4月2日の日本経済新聞で「叶わない楽しさ」というエッセイを書かれていたので、今回はそれを取り上げたいと思います。

 長島さんの「家族」という家族のヌードを撮った写真集を初めて見た時の驚きはまだ記憶に新しく、ヌード写真とはいえ、家族の空気感を撮っており、同じ家族なんだなと思わされる一定の共通する個性のようなものを皆が纏っていたのが印象的でした。家族という特別な関係性をどのように表現するか?その表現方法としてこんな写真を撮るとは。それがとにかく衝撃的でした。

 写真史の中で、写真を撮る側の人間が男性であった時代は圧倒的に長く、女性が撮る写真がまだ珍しかった時代。女性が撮った写真は「女の子写真」と言われて、一つのジャンルになっていました。しかし、女性であることを強く意識した可愛い、柔らかい、そんな「女の子写真」の中で、長島さんの「家族」は異質でした。長島さんは、女性という枠にも縛られない個性を持っている写真家なんだなと思わされた作品でした。

 また長島さんはエッセイの方でも活躍されていて、「背中の記憶」では講談社エッセイ賞を受賞されています。

 さて、そんな長島さんですが、エッセイの中で意外にも、なりたかったのは写真家ではなくて映画監督だったのだそうです。「世の中にはそれ相当の野心がなければ到達できないと思われている地位があり、そこにいる人々は特別視されがち」で、「夢が叶った結果として現在の位置にいると思われがちなのかもしれない」が、「輝かしい場所に立っているように見える人だって、必ずしも夢を叶えた結果としてそこにいるわけではないはずだ」と言います。
 ここまでは、ある程度の年齢まで生きてきた人であれば、皆知っていることだと思うのだけれど、長島さんは「夢が叶ったかどうかは、自分が叶ったと思うかどうかでもある」と書いており、この点には、はっとさせられました。

 確かに、他人から見たら叶ったように見えても自分自身満足していなければ、それはまだ夢を叶えていないことになるし、また自分が好きなこと、やりたいと思うことが「夢」の本質であるはずなのに、好きなことをやりたい気持ちより、分相応かどうかや他人に馬鹿にされないかどうかを気にしてしまったりすることもあります。

 夢を叶えるには、才能よりもまず、やりたいことを辞めずに続けることが大事。新生活が始まる季節、若い人には行きたいと思える道をどんどん進んで欲しい、自分で選んだ道である限りは、転んでもまた歩き出せると信じて。そう長島さんは結んでおられました。

 エッセイの題名は「叶わない楽しさ」。う~ん、そうだよなあ、夢は叶えるまでの、他人の目やそれがどれだけ報われるかも度外視して、自分が好きでやりたいことをひたすらやっている、その過程が楽しいんですよね。

 ふとこのエッセイを読んで思い出したのは、中学1年の夏休み前の担任と面談した時のことです。将来検事になりたいと思っていた私に、担任が「司法試験っていう試験は、努力すれば成果が出るとは限らない試験だよ。そこで貴女に聞くけど、勉強しても成果が出なかった時、貴女はどうする?」と質問してきたのです。
 担任は法学部出身でした。普段にこやかで、あまり細かい注意をしない先生だったのですが、この時は結構厳しい質問だったのでよく覚えています。
 私は「成果が出なくても、努力するしかないんじゃないでしょうか…それしか自分には出来ないから」と答え、担任は「そっか。それなら僕は止めない。思うようにやってごらん。頑張れ」と言ってくれたのですが、実際大学生になって司法試験に2回落ちた時、この時の問答の本当の意味を考えさせられました。

 担任はきっとわかっていたのだと思います。夢は成果自体よりも、それを掴もうともがいて試行錯誤して努力する、その過程を楽しめるかが最も大切なポイントなのだということを。

 今は当時の将来の夢とは違う道を歩んでいますが、法曹を目指して頑張った時間もいい思い出だと思っています。

 こんなご時世で、夢を叶えるには障害が増えたように思う方もいらっしゃるでしょう。
 それでも、短期的に見たら夢は叶わなかったと思ってしまうようなことも、長期的に後から見ればあれもいい経験だったのかもしれないな、楽しかったのかもしれないな。そんな風に思えるような人生にしていきたいですね。

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