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過去の恥ずかしいエピソード 〜穂村弘

 他人に知られたくない、過去のとびっきり恥ずかしいエピソード。どんな人にも絶対あると思います。

読売新聞にて連載中の穂村弘さんのエッセイ「蛸足ノート」にもこうしたテーマが取り上げられていました。

 穂村弘さんのとびっきり恥ずかしいエピソードは、小学生の頃、「時報」のアナウンスについて友達と会話した時のお話でした。

 今はほとんど利用する方はいなくなってしまったかもしれませんが、電話で「117」番をコールすると、時報が流れます。チッチッチッという時を刻む音とともに女性の声で「ただいま、○時○分○秒をお知らせします」というアナウンスが10秒ごとに流れるのですが、当時の穂村さんはこのアナウンスを生放送で、リアルタイムで女性が吹き込んでいると思っていたのだそう。友達に、「あの女性は24時間ずっと時報を告げなければいけないんだから大変だよね」と話してしまったのだそうです。トイレも、ご飯も、寸暇を惜しんで(というかどこかの10秒間で)どうにか済ませているのだろうと純粋に信じていた小学生男子、大人から見たら、可愛いとしか言えませんね。

ただ、相手の友達はもちろん録音であることを知っていたようで、「?(こいつ大丈夫か?)」と思われた様子を穂村さん自身も察知したようでした。

 このようないわゆる、その時は知らなかったことが原因である発言を、知った今ではとても恥ずかしく思うようなエピソードは、私にもあります。面白いものを2つ紹介したいと思います。

 小学校に入学して、初めての健康診断で、視力検査を初めて受けた時のことです。黒いプラスチックのスプーンのようなものを持たされ、何やら壁には謎の円のような暗号の紙が貼られています。自分の順番が来て、白衣を着た女性に言われました。「どこが開いているか、答えてね」。

 開いている?

 私はパニックになりました。「開いている」と言われて、想像するのは、ドアや扉が開いている状態だった私は、前方の壁のどこにもドアはないし、「開いている」部分はないのです。当然私は無言で立ちっぱなし状態で、視力検査は終了。判定は、「遠視性乱視」でした。

 その後、眼科医へかかるように言われた私は、親と一緒に眼科へ行き、ようやく視力検査の仕組みを理解しました。当然、視力の判定は1.5となったわけですが、今でも他の皆がどうして全員「遠視性乱視」判定をされずに済んでいたのか、心の底から感心してしまいます。 まあ、この視力検査エピソードはまだ軽い笑い話で済むレベルですが、さらに恥ずかしいエピソードを紹介しましょう。

 テレビで天気予報を見ている時のことです。

 「晴れ時々曇り」の天気予報の表示は、現在はただ太陽と雲のイラストが並んでいる状態ですが、私が幼稚園から小学校に上がる頃は、太陽と雲のイラストの間に、白いラインが入っていました。それが「時々」の意味だったのですが、当時の私にはこのラインの意味がわかっていませんでした。

 洗い物をしていてテレビを見ていられなかった母親に、「明日の天気、何だった?」と聞かれて、私は「晴れ、雨、曇り」と答えました。白いライン=「雨」と変換していたんです。

 母親は少し不思議そうな顔はしましたが、「ふーん」と流しました。

 そんなやりとりを数回した後に、母親はようやく「晴れ、雨、曇りって何?」と。そうしてようやく私は、白いラインは「時々」という意味だということを知ったのでした。

 相手が親だったからよかったようなものの、家族以外の人間にこんな謎の天気予報を語ることなく済んだのは、幸運だったと自分では思っています。

 いずれにせよ、大人になった今では当然と思っていることも、子供には意味がわからないことが多くあります。知らないことを「わからない」と言うこと、聞くことが決して恥ずかしいことではないと、むしろ質問しやすい雰囲気を作ることが、大人には求められているように思います。

 そして、大人になった後も、「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」と言われるように、知らないことのに知っている風を装うより、知らないことを素直に聞けることこそが、真の余裕だと心得て過ごしていきたいものです。

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