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心の遠近も 微妙な差 〜穂村弘

穂村弘さんは歌人ですが、書かれるエッセイもとても面白く、お気に入りのエッセイストの一人です。面白い理由は、歌人に必要な鋭い観察眼や言葉の選択の感覚を、長い文章を書く際にも存分に発揮されているからだと思います。
特に、穂村さんは私は極端に内向的な感覚をお持ちだなあ、それがもはや変人のレベルだなあと思うことがあります。しかしその内向的な感覚から指摘される事柄は、皆がどこかで気にしている事柄でもあるので共感できるのです。

穂村さんが詠まれる短歌は現代短歌なので、短歌と言えば古典だと思っている方にも、わかりやすいと思います。
例えば、私が好きな穂村さんの短歌の一つを挙げます。

ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は

説明しなくてもわかるかとも思いますが、「おれ」はきっと何か辛いこと、やるせないことがあったのでしょうね。それが、ふと冷蔵庫を開けた時にこんな形で現れた。詩的すぎず、ロマンチックでもない。日常の一コマに、自身の感情が吹き出てしまう時がある。さらに、やや乱暴に突き放したような言葉が、やるせなさを際立たせているのも味わい深いです。

さて、こういう繊細な感覚を持つ穂村さんが「心の遠近も 微妙な差」というエッセイで書かれたテーマは、「人間同士の距離感は、数センチ単位で意識化される微妙なものだ」ということでした。

穂村さんは、会社員時代のコピー取りの列に並ぶ人同士の距離やレジでお釣りを渡す時に手に触れるか触れないか、また満員電車の中での人と人が立つ距離感に着目し、これらは結局人間関係が具体的に距離になって現れるものだと分析します。
またその距離には、その人が育った地域性も現れるようだと観察していて、例えば車の運転も、東京と大阪では違うなどと体験談を披露されています。

話は変わりますが、私は今年、かねてからの将棋の推し棋士の応援やらイベントやらで何度か関西方面に行く機会がありました。
関西方面で駅前を歩くと思うのは、普段暮らしている東京に比べて、他人同士の距離は遠く、知り合いや友人関係の人同士の距離は近いということでした。
これは逆に言うと、東京では他人同士が多いせいもありますが、何らかの関係性がある人同士でも、一定の距離を保つ傾向があるのかもしれません。

距離が近いからいい、距離が遠いから疎遠というわけでは決してなく、心地の良い距離というのが人それぞれあるんだなあということを、地域比較をすることによって感じたのでした。

自分はもう少し近い距離にいたいなあと思うのに距離を置かれてしまって寂しいと思っているあなた。
まずはその人との関係性をよくすべく、思いやりや気遣いのレベルをアップさせることが、遠回りでも一番の近道だと穂村さんのエッセイを読んで学ぶといいと思いますよ。

穂村弘「心の遠近も 微妙な差」 2011ベストエッセイ 日本文藝家協会編 光村図書
(原出典:2011年3月16日読売新聞夕刊)

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