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親が子の学費を払うのは当たり前か?

はじめに

(大学の)学費を親が払うことが当たり前という内容のツイートが話題になり,議論を呼んでいるようです.(当該ツイートは現在削除されています)
これはいくつかのまとめサイト等でまとめられています.

また,この手の疑問や話題定期は昔から多数あるようで,調べると色々な質問サイトなどで様々な声が寄せられています.

はたして本当に学費は親が払うのが「当たり前」なのでしょうか.また当たり前だとしたら「感謝はしない」というのは問題ない行為なのでしょうか.
本記事ではこれらのサイトの意見を一通り読んだ上で,私の考えを書こうと思います.

論点の整理

最初に今回この記事で議論する論点についてまとめます.上の導入で書いた事柄として,注目すべきことは以下の2点ではないでしょうか

  • 親が実子の大学などの学費を支払うことは「当たり前」か?

  • 当たり前だとしたら学費を出してもらっていることを「感謝しない」のは妥当か?

しかし,この記述には色々と曖昧な点があります.まずは「当たり前」という概念について,ここでいう当たり前とは「多くの場合でそうである」や「当然の義務である」など様々な解釈がありえます.しかし,正確なデータはないものの,実際のところ7-8割前後の学生は学費を親などに払ってもらっているようです.

私自身も学費は学部生の頃までは親に持ってもらっていました.周囲の学生もその人が多かったことを鑑みると,「学費は親が払うのが多数派」ということはゆるぎのない事実であろうかと思われます.
また,中学校までのいわゆる「義務教育」に関しては憲法に「教育を受けさせる義務」として記載されるほど明確な義務です.
したがって本記事では,「高校以降(大学,専門学校等)の学費を親が支払う(実質的)義務があるか」ということで,いくつかの観点から書いていきたいと思います.

論点1:法的に義務か?

まず法的に義務かどうかを考えましょう.
親には様々な義務が生じます.例えば,幼い子供を放置すればいわゆる「放置子」となり,親には監督者責任を問われます.また未成年の子供が損害賠償を請求されたときは親が肩代わりをする必要があります.

そして「扶養義務」や「生活保持義務」として,親は子供に自身と同程度の水準の生活を遅らせる義務が民法で定められています.子どもの成年未成年に関係なく,一生続く義務です.

これはすなわち,「親が学校に行かせられる程度の経済的生活水準にあれば,子供には学校に行くかせなければならない」ということと解釈できます.高校は一般的に軽い経済的負担で済むため,支払い義務があると解釈できると思います.
ただ,大学の学費は「可能なら」といえる水準にはない場合も多いでしょう.実際に学生のほぼ半分はどこかしらから奨学金を受けているというデータもありますし,学生ローンや学費積立金の存在からも生活水準を落としてでも大学に行かせている家庭も多いと予想されます.
これより義務ではないことになってしまうかもしれません.

論点2:人道的に義務か?

法的な義務ではなくても,大学の学費を出さなくては子供はまともな生活を送れないから人道的には義務だ!という方もいるかも知れません.将来的に「大学全入時代」が来ているならまだしも,2024年現在大学への進学割合は56.6%だったそうですから,仮に経済的理由で大学に行けなくても非人道的な扱いをされたとは到底言い難いでしょう.

論点3:社会的義務か?

このように法的には義務でない場合も多く,人道的には全然義務ではない場合でも,「子どもの学費くらい出してやれよ」というような声がどこかから聞こえてきます.これはすなわち「社会的義務」かという話になるでしょう.つまり「法律にもどこにも学費を出さなくてはいけないとは書いていないが,出すのは親として当然必要だ」と考える人が多いということです.これが一番微妙なことであり,一概に言えないところです.
私自身親として,子どもの学費くらい面倒見てやりたいなとは思います.しかし,子供を可愛がれない人も一定数いることもまた事実ですし,あまりに大きい負担から「子どもの学費は出したくない」と考える人の気持ちも理解はできます.
これまた一方で,もし学費を出さず,子どもに「バイトでもなんでもして自分のお金で行け」と言ったとすると,親戚やご近所さんから「カゲラボさんちはこどもの学費出してないんですって」などと後ろ指さされそうと恐れる自分もいます.これはすなわち,社会的義務が私のまわりにはある程度存在するということであり,個別の案件になるでしょう.

大論点:義務だと仮定して,感謝しなくてよいか

さて,この記事の本来の目的として,仮に学費を出すのは親の義務であるとした場合,子供は親に感謝す必要はないのでしょうか?
これは否,圧倒的に感謝すべきであり,感謝しないなどという選択肢は存在しないと思います.なぜなら日本の一般的な教えでは「当たり前のことをしてもらっても感謝すべき」だからです.

私はまたうまく言葉の出ないこどもに「うれしいことをしてもらったら,ありがとうって言うんだよ」とよく言います.これは別に私は特別な思想の持ち主だからではなく,どこのご家庭でもよく言うセリフだと思います.ごはんを用意してくれたらありがとう,おもちゃを片付けてくれたらありがとう,おもちゃをくれたらありがとう,などと1日になんども感謝を伝えます.

これは子どもの場合ですが,これ以外はどうでしょうか.例えば学校へ行って卒業するときには,大抵の学校でお世話になった先生に感謝を伝えるイベントがあります.買い物に行ったら「お支払いありがとうございました」と言われます.
学費を払って学校に行っているのですから,学校の教員には契約通り指導や授業をする義務があります.買い物をしたら当然その代金を支払う義務があります.しかし,これを特に問題なく履行してもらっただけでも感謝するというのが現代のスタンダードであり,「してもらうのは当たり前だから感謝しない」という考え方は最初からどこにも存在しません.

まとめ

以上から
親が子どもの学費をだすことは,法的にも社会的にもある程度義務
義務ではあるが,だからといって感謝しなくていい理由にはならない
というのが私の考えでした.
ここまで読んでいただい方はどう思ったでしょうか.
ご注意いただきたいのは,貧困家庭のような子どもの学費を払えない家庭は義務でもありませんし,逆に何らかの理由で払わなかったら非難すべきということを主張するものではありません.これらは別のお話,ケースバイケースで議論すべきだと思われます.


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