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人が働くということ

石油ストーブを買った。念願だった。僕の家は北向きのワンルーム。ワンルームやけど少しだけ広めのワンルームなので、冬はとにかく寒い。

去年までは10年以上前の型番のエアコンと電気ストーブでしのいだ。電気代が12000円の月もあった。今年は石油ストーブを試してみたいと常々考えてた。ようやく狙ってたメーカーの中古で安いやつを手に入れた。50年くらい前のものになる。

しかし、かなりいい感じで気に入ってる。最初は煤まみれで部品が足りなかったり芯がボロボロで使い物にならなかったりで大変だったが、分解して整備して芯もメーカーから取り寄せてやれることはやったらなんとか使えそう。

灯油をわざわざ入れたり、煤を取り払ったり、世話が焼けるがそれもまた愛着となる予感。

この冬は電気代は浮くかもやけど、エネルギーとして灯油代がかかる。しかも一番近所のガソスタは先月閉店した。今はどこも商売がむずかしい。

仕方なく2番めに近いとこに買いに行った。普段車を乗らないしあまり行く機会がないガソリンスタンド。すべてがセルフになっていた。

たしかに実家で車に乗ってた10年ほど前も何度がセルフでやったこともあったような。。

しかし、自分が子供の頃は元気のいいバイトのお兄ちゃんが、「レギュラー満タンですか?」と開口一番に聞いてきて、次に灰皿の確認、そしておまけに頼んでもないのに窓やミラーを拭いてくれた。その光景を後部座席で見るのが好きやった。ガソリンを入れ終わって精算が終わればしっかりとかお見送りまでしてくれる。一種のアトラクションみたいな接客やった。

今の時代は、コストとして人が当然のように省かれる。利益優先の企業経営では当たり前のことかもしれない。機械化されてく現代においても。

しかしほんまにそれでいいのか。とも思う。
僕はもっと人に接客してほしいなーと思うこともある。それはめんどくさいとか、金を払ってるとかではなく。全ては体験やから。

旅をしたりして思うことと似ててその土地土地の人に会い、いろんな話を聞けることやその土地にしかない風景に何かを感じることのように。

その瞬間その体験をもっと肌で感じたい。もちろんセルフでガソリン入れることも体験ではある。でもやっぱり人が介して、起こる出来事とゆうのはとても興味深い。いいことばかりではないかもしれない。でも体験やから仕方ない。

なにもかも便利で効率化さるた世の中もいいのかもしれないけど、少し煩わしくて、何が起こるかその時次第的な世の中のほうが生きてる感じがするんです。

お金や資本主義といったこれまで当たり前とされてた概念を少し距離を取り考えてみる。

ほんまの資本とはなんなのか?
今はお金ではないと考えてる。
人が動きいろんな体験をすることにより、作り出す労働や対価。人ひとりひとりの時間と労力。

お金があること、利益をあげなきゃいけないという思い込みがあるからそれらが失われていってると思ってる。

自分は美容師として、人がカットするとゆうサイコーの体験を提供したいと常に考えてやっていきたい。

またどっかで、レギュラー満タンですか?って聞かれたいなー


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