「虎ノ門ニュースが終了して悲しい!」という人はテレビを妄信する人と同じである

「テレビを見るな」という人が増えてきた。
テレビがプロパガンダ機関であることは今に始まったことではないが、近年はさらに偏向報道がひどくなり、テレビを見ることによる弊害が増えてきたことに起因すると思われる。
「テレビを見るな」という思想の背景には、テレビのスポンサーの意向に沿った内容のものしか報道せず、偏向報道の自由と報道しない自由を駆使することで、でたらめを真実であるかのように報道されることがある。

先日、「虎ノ門ニュース」という、いわゆる、保守派と言われる言論人によるYouTube番組が終了するということで、番組終了を悲しむ者で溢れかえった。
だが、虎ノ門ニュースに出演する者のほとんどは、スポンサーの金が入ったとしか思えない、利益相反まみれの偏向した者たちだ。

テレビの情報が偏向している構造と虎ノ門ニュースなどのような番組の情報が偏向している構造は変わらない。
あまり個人名は出したくないが、高橋洋一や竹田恒泰、百田尚樹、櫻井よしこなど、一部の話題は「愛国保守」を装って、テレビでは言えないようなもっともらしいことを言うが、その他の話題ではテレビ報道と変わらないような、スポンサーの意向通りの大嘘をあたかも真実かのように平気で語る。

筆者は極たまにテレビを見るし、虎ノ門ニュースのようなインターネット上の情報番組を見る。
それは「今、テレビではどのような話題を取り上げ、どのような嘘を垂れ流されているか」を確認するためであり、虎ノ門ニュースのようなゴミ番組をたまに見るのは「どのような話題を取り上げ、どのような者たちがどのようなことについてはまともなことを言い、どのような話題については大嘘を垂れ流しているのか」ということを確認するためである。

テレビのスポンサーたちは権力と財力が膨大なため、滅びることはほぼないだろう。
「テレビを見るな」と言っても、テレビはなくならない。
重要なのは、「テレビがどんなに嘘を垂れ流しても、それらの嘘を全て見抜ける力でもって、嘘を見抜くこと」だ。

テレビと同じように、虎ノ門ニュースのようなゴミ番組も今後もなくならないだろう。
「テレビを見るな」というなら、「虎ノ門ニュースも見るな」というのが筋だろう。
「テレビを見るな」という者は大抵、「テレビはなくなってしまえばいい」という。
であるならば、「虎ノ門ニュースもなくなってしまえばいい」というのが筋だろう。

にもかかわらず、「テレビは見るな」という一方で、「虎ノ門ニュースが終了して悲しい!」というのは、全く本質を見ていないと言わざるを得ない。
所詮、YouTubeやSNSで「保守だ!」「愛国だ!」と騒いでいる者のレベルはその程度ということなのだ。

「虎ノ門ニュースが終了して悲しい!」などと言っている者たちは所詮、テレビを妄信している者たちと本質は何も変わらない。
メディアが伝える100の嘘のうち、1つか2つだけに気付いて「テレビを見るな」と騒いで優越感を感じ、殆どの嘘には気づかずに虎ノ門ニュースのようなクズ番組をありがたがっているだけなのだ。
これぞ正に、目糞鼻糞を笑うと言わずして何というのだろうというところだ。

世界の支配者たちはわれわれの百歩も万歩も先を言っている。
支配者たちの恐ろしい人類奴隷化計画にわれわれが抵抗するには、一日も早くインテリジェンスの力を高めて抵抗しなければ、われわれの自由は完全に奪われてしまうのだ。

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