人を嘲る者に限って誰よりも無知で愚かである:人に罵られたときの処世術

人はどのような生き方をしても必ず罵られることがあるものである。
罵りの中には唯の侮辱もあれば、強い口調による批判もある。
批判の中には、聞くに値しない批判もあれば、真っ当な批判もある。
このことから、全ての罵りが無価値なわけではなく、罵りのメッセージの中に自らの反省すべき内容が含まれていることもある。

しかし、大半の罵り、罵りの十中八九は聞くに値しないものである。

罵りという行動は大抵、正論で返すことができない場合に、人は他人を罵るものである。
つまり、まともに反論ができないときや、思考が停止してしまって、相手の存在を否定する以外に方法がない愚か者が、相手を罵るのである。

これを逆手にとって考えると、あなたが正論を訴えている場合、誰かがあなたを罵った場合は、それは相手があなたの正しさを認めたことを意味し、その上でまともに反論できないが故に、あなたを罵っているのである。

つまり、あなたは罵られたことによって傷付く必要などない。
あなたが胸を張れる生き方、胸を張れる主張さえしていれば、あなたを罵る者は愚か者ばかりである。
そのようなあなたを罵る者は、単に無知で愚かであるにもかかわらず、あなたよりも優位でありたいとか、あなたよりも優秀であることを誇示したいがために、あなたを罵るのである。
そのような野心を抱く愚か者は、あなたを罵ることでしか、自分の優位性を示せない、可哀想な愚か者である。

逆に、愚か者たちがあなたを罵ることしかしなくなったときは、あなたは愚か者とは比較にならないほど、高みに辿り着けたことを意味する。
愚か者たちに罵られたことによって落ち込む必要はない。
愚か者たちはあなたを罵ることで、あなたに対して完全に降参宣言をしてくれているのである。

人を嘲る者に限って、誰よりも無知で愚かであるものである。
あなたが謙虚に正直に真面目に生きる限り、あなたを嘲る資格がある者など、この世に存在しないのである。
ただ、だからと言って、自分に自惚れることだけは注意だ。
自分に自惚れはじめてしまえば、嘲られても仕方のない存在に落ちてしまう。
そのことにだけはよくよく注意してほしい。

そう、あなたは自信を持って良いのだ。


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