地球温暖化の話を「二酸化炭素が原因です」という前提でするのは、「不倫は許される」という大前提で「不倫は文化だ」と議論するのと同じだ

世の中には様々な議論がある。
議論には前提というものがあって成立する。
小学生用の算数で「1+1=2」という足し算の原則を前提とするからこそ、「2+2=4」だとか、「2+3=5」という問題が成立するのであり、だからこそ、小学生の算数のテストで「2+3=?」という問題を出すことが出来るのである。
だが、大学の数学の専門的な話になると、「1+1=2」というのは大前提ではない。
そのような世界でいきなり、「え?1足す1は2でしょ?そんなの当たり前じゃん」などと言ったら、お話にならない。
どんな世界でも、議論する上での大前提というのがとても重要になる。

ひと昔前に俳優の石田純一が「不倫は文化だ」と言ってのけたが、仮に「不倫は文化なのかどうか」という議論をする際に、大前提として「不倫は良いのか、悪いのか、人それぞれなのか」という議論があった上での話になるべきだろう。
仮に「不倫は悪くない」「不倫は許される」「不倫は自由」ということを前提にしたら、ほぼ「不倫は文化だ」ということが肯定されて議論が終わる。
「不倫についてどう考えるか」という議論が前提にあって、それを元にして、「不倫は文化と考えるかどうか」について、肯定するか、否定するか、それとも別の意見を提示するか、ということが出来るのである。

これと同じく、本来ならば、「地球環境を保護する」という話をする場合、「いかにして地球環境を守るか」という議論が大前提にあるべきだ。
にもかかわらず、「地球は温暖化している」ことを前提にしたり、「二酸化炭素が地球環境の悪者だ」ということを前提にしてしまうと、果たしてそれによって地球環境保護という目的が達成できるかどうかはわからない。
しかも、最近の流行語である「気候変動」という言葉は何をどうしたら良いのか、全く分からない。

科学的に「二酸化炭素の量が気候変動に影響を及ぼしている」という根拠となる学術論文は一つも存在しない。
正確に言うと、過去に一本だけ論文が存在したが、あまりにも稚拙ででたらめな内容の論文であったために、論破されてしまったのだ。
なお、その論文の嘘が論破されず、なんとなくごまかせていた時は「地球温暖化の原因は二酸化炭素だ!」というプロパガンダが流されていたが、地球は温暖化に向かっていないことが明らかになってきたころから「気候変動の原因は二酸化炭素だ!」と言われるようになった。
これだと、気候が上昇しているのか、下落しているのか、変動しているだけなのか、何の議論もないままに、その原因は二酸化炭素だという謎の結論が出されている。

「気候が変動している」・・・だから何?という事項に対して、「二酸化炭素が犯人だ!」といって、巨額の資金を投入して二酸化炭素の削減に政府や企業が対策に取り組んでいる。

これほど馬鹿げた努力は他にないだろう。


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