新聞を読む時間があるなら、その時間を本を読む時間に全振りした方が良い

みなさんは毎日、新聞を読んでいるだろうか。
20年前は、筆者が毎日通勤電車で通勤していると、必ず周りに何人も新聞を読んでいる人が電車内に居たものである。
しかし、近年では電車内で新聞を広げて読んでいる人を一切見かけなくなってしまった。
新聞を読む媒体が新聞紙から、インターネットやスマートフォンなどに移行してしまったために、電車内などで新聞を読む人を見かけることが無くなったのではないかと思う。

筆者は20年ほど前から金融機関で働き始めたためであろうか、「日本経済新聞を毎日読むのが当たり前だ」ということを会社の人たちに言われたものである。
だが、筆者は日経新聞を読むたびに記事に違和感を感じ、仕事で日経新聞社の記者たちと接するたびに違和感は確信へと変わり、日経新聞を読むのをやめてしまった。

日経新聞の記事の多くはその日の記事の為に十分な調査も行われずに書かれる記事も少なくない。
記事の中には海外メディアの記事の一部を和訳しただけのものや、単なるプロパガンダ記事も少なくない。
日本の大手メディアにはプレスコードが激しく、記者クラブなどを通じた報道規制が厳しく、そのレベルは北朝鮮と同レベルである。
日本人の多くは中国や北朝鮮は報道の自由がないと思っているが、実際には中国の方が報道の自由がある。
正確に言うと、「日本には報道の自由がない。中国には報道の自由があるが、報道した後の身体の自由がない(中国共産党を批判するような記事を出すと投獄されるか、最悪処刑される)」という違いがある。
実質的に両国ともに報道の自由はないが、報道すら出来ない状況である日本の方が深刻と言えるだろう。

また、日本経済新聞社の記者は各分野の素人ばかりが記事を書いている。
特に顕著なのは新興国や後進国、中東などの政治や文化に疎い人たちが、その地域の記事を書いている。
そのため、そもそもの情報が正確でなかったり、大きく間違っていたり、単なるプロパガンダに過ぎないという現実がある。

筆者は金融業界の中でも、いわゆる、金融経済研究所といわれる部門に長年属しており、金融経済の分野で日々どのような出来事が起こっているかに注目する現場で働いてきた。
その経験から、毎日毎日新しいニュースは発生しない。
大抵の出来事は日頃から積み重ねられた出来事が、ある側面で表面化し、その一側面だけをニュースとして取り上げられるというのが実態なのである。
つまり、毎日毎日新聞のような記事を読んでニュースを把握する必要など全くなく、ある分野について知りたければ、その分野の専門書を読み、その分野の人たちとつながりを持ち、定期的に業界の流れを追っていれば、新聞記事というものがほとんどクズのように見えてくる。

そのように把握できる分野を増やすために、毎日新聞でニュースをチェックするくらいなら、一日一分程度でニュースの見出しをインターネットで眺める程度にとどめ、新聞を読む時間は本を読む時間に全振りした方がよほど世の中のニュースを読めるようになるものなのである。



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