目くそ鼻くそシリーズ:国旗と国歌を尊重しないのは日本の常識、世界の非常識

日本において常識とされることが、世界の多くの国で非常識とされることが多々ある。
それが、日本の常識の方が道徳的に素晴らしいことであったりすれば良いのだが、そうではないこともあることは日本人として筆者は憂うのである。
今回はその一つである、「自国の国歌や国旗を尊重しない日本人」を取り上げよう。

日本では国旗や国歌を尊重すると「頭のおかしい右翼だ」と思われてしまう。
いわゆる保守派と言われる人の中には、日本の国旗や国歌を大切にする人がおり、逆に大切にしない人を軽蔑したりする。
だが残念なことに、「私は保守です」と言いながら、共産主義ど真ん中でグローバリストリベラルな自民党を支持しながら、国旗と国歌を大切にしている人が居る。
筆者には、この両者がともに目くそ鼻くそ状態に見えてしまうのだ。

日本では日本の教育制度を共産主義にするために長年努力して来た日教組による洗脳教育により、「国旗に敬意を払わない」「国家を尊重しない」精神が広く日本人に根付かされた。
筆者も小学生のとき、日教組による洗脳教育により、「日本の国歌を歌うことは恥ずかしいことだ」と教えられながら、何故か音楽の授業で日本の国歌を歌う時間があり、「国家を歌うことは恥ずかしいのに習うのは何故だ???」と大変混乱したことを覚えている。

戦前や戦後直後であれば、街中で日本の国旗が掲げられている姿を見ることができたが、現在では国旗を掲げている様子を見ることは、もしかしたら恐竜の化石を発見することより難しいことになってしまった。

対して、世界中の多くの国では、その国の国旗はとても尊重されるし、国歌はとても大切にされる。
国籍の異なる友人を尊重するという意味で、外国にいるときにその国の国歌を口ずさんだり、歌ったりすることは、外国人の友人との友情を深めるのに大いに役に立つ。
筆者もフランスではよく、友達と一緒に共同作業をするときに突然、フランスの国歌を歌ったりしたものだ。

自国の現政権や為政者を嫌う者は多いが、自分の国には尊敬の念を抱くのが世界の常識と言えるだろう。
それは、自分の親や祖父母、祖先を愛し、敬い、自分の故郷を愛する気持ちの表れであろう。

自分の故郷と国家には、正確にはズレがあるので、そういう意味では国歌というのは真の伝統保守主義とは全く異なるものなので筆者にも違和感があるのだが、日本の国歌はメロディーこそ、近年に出来たとはいうものの、歌詞自体は1000年以上の長い歴史を経たものである以上、故郷への畏敬の念を抱かざるを得ない。

そんな自分たちの故郷や祖国を表すのが国旗と国歌であり、世界の常識ではこれらに尊敬の念を表すのである。
だが、日本ではこれらに尊敬の念を表すことは非常識とされている。

そもそも国旗と国歌を否定する事は、国家を否定することであり、共産主義思想が産んだ世界統一政府を樹立するための基本理念である。

つまり、日本において、国旗と国歌に関しては、共産主義思想に立つことが常識とされているといえるのである。
国の常識が共産主義思想であると考えれば、恐ろしい常識がまかり通っていると思わないか。
これこそ、まさに日本人が日本国という国家の滅亡を間接的に望んでいるのではないかと、筆者が思い、亡国の道をたどろうとしているのではないかと憂う所以である。


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