民主主義とは何かを今一度確認しよう

われわれは日頃、共産主義にさらされている。
政治家やテレビなどのマスコミ関係者など、表に出てくる人のほとんどは実は共産主義者なので、実は驚くほど共産主義と当たり前に接しているのだ。
「みんな平等に!」とか、「一日八時間労働でみんな豊かに」とかはまさに共産主義によるものであり、「そもそも民主主義は何か」を意識せず、民主主義とは何かがわからなくなっているのではないだろうか。

下記の記事で「緊急事態条項」について説明し、緊急事態条項が導入されることで民主主義国家が共産主義国家に早変わりするということを説明した。
緊急事態条項とは何かについて深堀してみよう|KAZU@AQUOIBONISTE|note

では、「そもそも民主主義とは何か」について述べたい。
民主主義の表面的な意味は、「国民や市民全員で話し合い、その全員の意思を政治に反映させて国を統治する」ということであり、国民全員が直接意見を出し合って決める制度を「直接民主制」、国民全員で国会議員という代表を選び、その国会議員全員で意見を出し合って決める制度を「間接民主制」という。

では、「いずれにせよ、国民の意思が反映されていれば良いのか?」と言われれば、そうではない。
民主主義の重要な部分は、もっとずっと別のところにある。
そもそも、何故国民全員で決めるのかというと、国王や皇帝など、国のトップを決め、そのトップが国民全員の為になる政治をしてくれれば良いが、これまでの歴史の経験から専制君主は独裁化し、君主や貴族にだけ都合の良い政治をして、国民は虐げられてしまうという歴史的な反省がある。
だからと言って、国民全員で決めるということさえ決めればそれで良いかと言えば、それも違う。

かつて、最も古い民主主義国であったと言われる古代ギリシャでは、国民が段々怠惰になり、政治に関心を持たなくなり、いい加減な為政者を選び、為政者は私利私欲に走ったために、いわゆる民主主義政治が衆愚政治と呼ばれるようになり、国が弱くなりほろんだという経験がある。
そう、民主主義は国民が賢くなければ成立しないのだ。
国民それぞれが、自分たちの国にとってどのような制度が良いのか、様々な分野について学習し、問題意識を持ち、目を光らせ続けなければ成立しないのだ。

その上で、それぞれの国民の人権を認め、お互いを尊重しなければならない。
誰か特定の人を優遇すれば、その他の人は損することになる。
つまり、政治の行きつく先は富の奪い合いとなり、権利主張をしあうという、エゴとエゴのぶつかり合いになるのだ。
そう、素直に民主主義を突き進めば、欲望と欲望のぶつかり合いとなり、その利益衡量の世界になってしまうのだ。

では、欲望と欲望をぶつけ合う状態となり、結局は強い者の主張が通る社会が民主主義となるということになるが、それでは専制君主制の君主が単に社会的強者である資産家にとってかわっただけになってしまう。
では、民主主義は何を目標に設計すれば良いのかについては、次回、語ろうと思う。

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